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こもれび(9)

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 こもれび(9)1992-1993  仲秋の名月に、久しぶりにお団子を作った。今年の豊作を感謝して芋類も一緒に窓辺に並べた。子供たちも独立してみる人もないが、母がしていたように…。月はマンションの影に窮屈そうである。       つ  1992   いつよりかスカート似合ふ女の子ブランコに小鳥のやうに乗りにけり   子は家がよきといふやうに誰よりも先に帰りて灯を点し待つ   それぞれの成績は親へのプレゼント終業式を終へて思へり   成績にのみ心奪われし日常か今宵はサンタの夢を追ふべし   何処よりサンタは家に入るかとふ小六の子の不思議に戸惑ふ   空青く椰子は伸びをり珊瑚礁の砂白きここは常夏ハワイ   冷水器に幼を抱え水呑ますドリンクノイズと人笑ひけり   薄暗き午前七時にワイキキの模糊たる浜の白砂を踏む   日常に帰りゆく所作と惜しみつつ旅の疲れをすすぎ物に干す   幼き子を息子に見させて不安あり土曜の午後も会議は続く   その母と手をつなぐ子をホームに見る嬉しかるらし跳ねてゐるなり   もう雨はあがつたらうか曙杉の若葉が微かにうなづいてゐる   ふくよかに白く輝く蔵王の峰沈黙深く我を見下ろす   前を行く人のシルエット細きまま吹雪く蔵王の雪に紛れつ   リフトにてゆく白銀のモンスター心澄まして縛れるを見る   力なしと佳き人笑ふ若者よ奔放なる人生歩みたまへな   我の背を抜きたる息子の卒業日声さえ太り花を飾りて   都忘れの濃き花咲きぬできることをできぬと言ひはる嵩ぢし娘   しきり背を預けくる娘暑苦し  追はんとせば啜りなきをり   地球のうめき声聞こゆロードローラー来て畑押しつぶすなり   テニスボール一人打ちなどしてをればさくらんぼ熟す青空   風強くパラソルが飛び浮き輪がとぶそれでも人は海を楽しむ   一片の折り鶴に託すシンメトリーパズル解くごと平和を祈る   出張といふ気軽さに疲労感肩に押しやり昼の街をゆく   愛されることを必要とする少女力なき目をして微笑む   て  1993   楠木も橡も欅も頭上高く寄り添ひたき空間を持つ   美しくもみづるとしからざると同じところの同じ紅葉の木   逃げ場なき思ひ籠れる消しゴムか刺し傷だらけが転がりてゐる   シャボン玉飛びゆくに手を振りて立つ幼き娘と共に喜ぶ   たくさんの魂詰まつてゐる教室に試験とて今一斉に

9月の植物図鑑(狭山丘陵)

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 9月の植物図鑑(狭山丘陵)  みどりの森博物館発行の冊子を見ていたところ、9月にタカサブロウを撮った写真が載っていたので、ぜひ見たいと思い、タカサブロウはやや湿り気のある道端などに生えると書いてある。湿地と言えば八幡神社わきの水田あたりではないかと目星をつけて出かけたのであるが…。 タカサブロウ あなたには何から話さうタカサブロウ月が出るにはまだ少しある 河野裕子 そういえば今日(9.21)が仲秋の名月である。お団子を作って名月を楽しむことにしよう。 ノダケ/せり科 紫色の不思議な花。牧野植物図鑑によると「秋に複散形花序をなし、紫黒色の多数の細かな花をつける」とある。 シロヤマギク/きく科 スズメウリ/うり科 八幡神社わきの曼殊沙華 知る人ぞ知る的な名所か、いつにもまして多くの見学者がいた。 八幡神社 秋の大祭が昨日あったとかで、本殿が開帳されていた。 八幡湿地の周りを隈なく探したが、タカサブロウは見つからず。イナゴなどの水田の昆虫が飛び交っていた。 タテバチドメグサ/せり科 帰化植物 ウチワゼニクサ、ウオーターマッシュルーム、ウオーターコイン、などとも呼ばれる。熱帯魚の水草として広く栽培されているが、これが逸脱したようだ。原産国アメリカ。 チドメグサと混成していた。 ヒヨドリバナ/きく科 ヨメナ/きく科 水田の稲穂を守る案山子たち。子供たちの作品だろうか。 一つ目小僧? 残念‼ タカサブロウは何処に?

こもれび(8)

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 こもれび(8)  台風一過の好天に恵まれ、キバナコスモスにツマグロヒョウモン(雌)が来て、さかんに蜜を吸っていた。いかにも秋到来の風情である。カメラを構えても逃げようとはせず、細いキバナコスモスの茎に揺られて、いつまでも揺れを楽しんでいるようだった。 た  1990   人を待つというにはあまりに淋しきよ公園に立つ外灯一つ   落葉松の突き立つ空に白き雲形変へゆくまでを見て立つ   ま新しき鉛筆三本を机上に置き緊張の中に待つ受験生の顔   面接に受験生のあどけなしいづこに隠す若き粗暴を   故郷はそこにあるらしちちのみの父の生家を知らざる我は   小さき靴小さき足を持ち上げて危ふげなれど幼は歩く   歩みては地面に座り物つまむ幼の指先清きを見つむ   長の子も二重にかかりし虹を見つと帰らぬ父を待つ食卓に   連休を有意義になどと人には言ひ幼と遊びて休日過ごす   今はもう少し家に居るべし小さき手を絡ます子がゐるゆゑに   道端の春紫苑も蒲公英も美しき花幼と見ゐる   両の手を差し伸べ纏はる子の願ひ叶えてやれず厨に立ちぬ   背を向けて厨に立ちぬかまはれぬ子らの小競り合ひいつまで続く   時鳥夜のいづこに鳴きたるや不意にして三度後の静けさ   時鳥再びは鳴かず生ぬるき夜空は暗くどんより湿る   暗闇にこんなに時計ありしかと「モモ」のごと見る蒼白き表示   職場より疲れたるとき疲れたる顔をして帰れる人は幸せ   家事育児送り迎へもすべてして報はれぬと思へばせつなし   帰宅して風のごとくに出で行けり遊びの約束子は持ちて来て   何処にて遊びしものか靴はきてゆきしとも思へぬ靴下の泥   ち  1991   じたじたと利き足強く踏み鳴らす幼きは意志を守らんとして   暖かき昼の名残が匂ふ路地ふはりと夜の不安漂ふ   昼下がり茶坊に語る妻たちと噛み合はざれば聞き役になる   オリオンの美しく見ゆる夜更けて明日があるなら早くと思ふ   東川の源流みんと辿るなり梅林の中に水湧き出づる   箙の梅と案内板は ここなむ太平記の世界が始まる   芹なづなたびらこ類

こもれび(7)

 こもれび(7)  秋の到来を告げる金木犀の香りが豊かである。よい季節になった。太陽のもとではまだまだ暑さが厳しいが、吹く風は心地よい風を運んでくれる。太陽をいっぱい浴びて、いつまでも戸外に居たいと思う。まだまだ紫外線が強いのだろう。  先日、女性の過剰と思われるほどの日焼け防止に努める様子が気になった。美白はあこがれであるが、全身を布で覆い、帽子を深々と被り、手袋をして……どうしてそんなに日焼けを恐れるのだろう。 せ  1988   平和なる時と思へりベランダに布団干されてふくるる真昼   安易なる判断一つ咎められまたも虚しき繕ひをなす   疲れたる頭に抗ふ言葉なし人のそしりを背に受けて聞く   息詰めて時計盗み見 六時までに終はらむ会議か長々続く   六時過ぎ駆け込みたるに責むるなき笑顔の迎へ救われにけり   何もかも長き影引く入つ日に生徒が三人並んで帰る   新雪のまばゆきに立つきりきりと北の寒さが肌を刺し来る   学童保育の灯を守らんと百枚のビラ配布すと寒き道に立つ   己が鍵にドアあくる音寂しからむ子が真先に帰りくる家   登校の息子を送りに出でざればお母さんと呼び立てて出づ   修善寺に保里布団店とふ看板ありいかなる人が住むかと思ふ   世の動き人の動きと関係なく子と熟れ落ちし桜桃拾ふ   消しゴムを使ひし跡も残りゐて母の日の作文ありがたきなり   身重なることかまひてはをれずよ 保育園へ迎へに急ぐ   先に走りゆきて見つけた曼殊沙華燃ゆるごときに歓声をあぐ   不器用に仕事を続くる杜撰さも苦しさも胎児受け止めてゐむ   木犀の香れる日より高飛車に物言う人の影は膨らむ   不確かな世に生まれくる子を待ちて白く小さき産着揃へる   そ  1989   嬰児の目元口元笑まふさへ生まれしものの不思議にうたる   これからは山にも登らん暁光のごときが閃く産声高し   梅の咲くときに宮参りいいですねとにこやかな婦人に寿がれたる   抱きあげん我をベッドに待つ嬰児は花のごとくに笑みて応ふる   腕の子は髪そよそよと吹かれゐて気持ちよげなり眼細めゐて   眩しげに景色見て

9月の植物図鑑

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 2021.9.16 9月の植物図鑑  ヒガンバナ(曼殊沙華)が咲き始めた。 コロナ禍のために、ヒガンバナ(曼殊沙華)の観光名所では三密状態を嫌って、花芽を刈ってしまったとも聞くが、まことに残念なことと思う。今年は天候不順のためか、お彼岸より早く開花したヒガンバナを見かける。身近なところにもたくさんのヒガンバナが咲いていることに気づく季節である。  航空公園を散歩した。そこにもたくさんのヒガンバナが咲いていた。ここもきっとヒガンバナの名所になるに違いないと確信をした。 ヒガンバナ(曼殊沙華)/ひがんばな科 「天界の花」とも言われ良いことがある、瑞祥を意味する花言葉もある。雄蕊がまことに美しい。 コウホネ/すいれん科 スイレン/すいれん科 モネの絵を想像させるような静かな風景。 ボケ/ばら科 カリンを想像させるような実である。 航空公園の463号道路側に白い曼殊沙華が列をなして咲いていた。 公園内には赤い曼殊沙華の群落が! ザクロ/ざくろ科 実

こもれび(6)

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 こもれび(6) 庭の曼殊沙華が咲き始めた。今年は適度に雨が降ったので、たくさんの花芽が出てきた。楽しみである。また、秋の味覚の栗も収穫期を迎えた。 し  1986   朝日さす鉄路に生ふる曼殊沙華ふりしを今朝は揺らして過ぎる   突然にびんずいと思ふ逆光にさへづる細きシルエット見つ   霧覆ふ湖面に漕ぎいれし貸しボート波紋のみが岸辺を洗ふ   楽し気に雀囀り日の出づる方を向きてぞ電線に鳴く   子供らの膝に乗りくる感触を思ひて夕べ帰宅を急ぐ   三十五歳若くはなくてまた一つ隔たる生徒ら眩しく見ゆる   梅の花咲き出ださんか里の庭広し と子は走り回らむ   昼頃より粉雪降り初む水疱瘡になりたる吾子を里に預け来て   中空に四方へ飛び散る花火あり 恐ろしとしがみつき来る吾子は   中空に花火の弾づる音のして落下傘静かに闇 に消えゆく   弟の分まで拾へと命じたる落下傘持ち長の子は来る   花のとき終へて箒に重き程吹きだまりゐる花柄の桜   帰りゆく児童の列に付きゆけば別るる児らは無言に 離る   眠くても先に寝ないでと子に言はれ絵本読みやる眼よ閉づな   微かなる風が触れくる優しさかもちの花白く降りかかりくる   舗道の暑き反射を受けながら息子がプールより帰り来る頃   ブランコに揺られて遊ぶ子の額蚊に刺されあり夏日も揺るる   母親の働く是非を問われおり小学校クラスの役員決めに   虫の音を聞く宿題を果たしおり学童クラブより一緒に帰る   幼子の背よりも高き里芋の葉を仮面となして遊ぶ父と孫   す  1987   解熱剤飲みて遠足にゆきし息子を時折思ふ空を見上げて   人並みに学びてをらんか聞かむと思ふ不器用なる子ゆゑの不安   逆光に羽虫が白く浮遊せり日輪淡く夕湿りをり   華やかに舞台で演じゐたる人目立たぬ姿に足早に去る   観劇の余韻を引きつつ立つ舗道夜の灯りが寂しく光る   公孫樹の葉散り積もりたる木下道振り向きざまの夕日に押さる   高原の空藍深し宇宙より飛び込む電波がありと思へる   青き空にパラボナアンテナきりりと立ち宇宙へ

こもれび(5)

こもれび(5)  散歩をしていると、木に絡まって白いこんもりとした花が咲いている。十字形のきれいな花だ。「コボタンズル」である。「ボタンズル」と似た花だが、葉のつき方が違うらしい。  牧野植物図鑑によると「コボタンズル」 は関東の山地に生えるつる植物。「ボタンズル」は日当たりのよい山地や原野に生えるつる植物で葉の構成が、二回三出複葉と三出複葉との違い。散歩をしながらこれからは葉のつき方にも気を付けて観察してみようと思う。 こ   1984   夕日さす町見下ろしぬ木犀の香りかすかに尾花を照らす   立たむとて転ぶや否や泣き立つる幼の負ひし苦痛は如何な   ひとしきり泣きゐし幼眠りたり仄かに白み朝刊が来る   五階より俯瞰するなり葉の落ちしメタセコイヤが細き影引く   幕のうち並びゐるらし 三歳児吾子の元気な声が漏れ来る   三姉妹久に会ひたり厨なる母の傍へに自づ集ひて   我読書夫の飲みたき珈琲を淹れに立たむか測りつつ読む   子も寝ねて気ままに読書むさぼれば何に触りし夫の不機嫌   休日の家に籠りて午後四時を持て余したり厨に立たん   扇のやう欅の梢梳らるごとくに北風に大きくなびく   起き抜けに夫出勤すとどのつまりは保育園に我が子を送る   休まんか夫と確執ありしのち熱高き幼目に涙たむ   主婦我の帰宅遅れぬ確実に子らは飢ゑゐて家中すさぶ   拳もて何をしづめしか戦きて夫の怒りに耐えてをりけり   明日の準備せねばと思ふ添ひ臥せば子より早く寝付きにけらし   上の子の悲しき目にてたぢろぎぬ母我もまた孤独に怯ゆ   春の夜の闇にひかれて寄り合へどすれ違いゆくこころ寂しく   喨喨と長閑にラッパ聞こえ来る基地近き駅に立ちて聞きをり   泥濘を歩むがごとし基地にては今もラッパに時を知らせて   延び来る飛行機雲が途絶えたり不穏を抱え動悸し見上ぐ   戸外にて賑はふ見れば子燕の低く羽搏き親燕めぐる   長雨に飽きし幼と散歩せり木々のしずくがリズムもて散る   考へをまとめんとするに座す椅子が不安定なりうちばかり見つ   さざ波は触れたきほどの光沢を持ちて寄せくるあさまだき海