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6月, 2022の投稿を表示しています

壱岐・対馬の旅 (対馬博物館)

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 壱岐・対馬の旅(対馬博物館) 対馬博物館は金石城跡に2022年4月30日に開館した、大陸や日本本土と対馬との交流について総合的に学べる展示になっている。どれもどれも日本史の教科書を紐解いているようで、興味深かった。 写真 (逆順に配置) 対馬に残された宗家文書を検討する人々  有史以来大陸との交流は欠かせない土地柄であるが(朝鮮半島まで50km、九州まで120km)朝鮮外交がもたらしたものは。 朝鮮外交使の江戸までの行程 上下の写真は繋がっている。 対馬博物館の礎石

壱岐・対馬の旅4 (対馬)

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壱岐・対馬の旅4(対馬) 神の島・神話の島ともいわれている壱岐・対馬。神話にまつわる神社がたくさんあるが、その中の「和多都美神社」に参拝することができた。 竜宮伝説が残る古社。海神である豊玉彦乃尊がこの地に海神の宮(わたつみのみや)と名付けた宮殿を作ったことが始まりとされ、彦火火出現尊(ひこほほでのみこと)と、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)夫婦神が祭られている。旅行客の参拝態度が悪かったということで、数カ月参拝禁止にされていたとのこと。参拝最初にあたって参拝態度について何度も注意がされ、写真も参拝後、鳥居から出てから撮るように注意され、神社側に特に気を使っているようだった。緊張した。 烏帽子岳展望所 対馬のほぼ中央に位置する標高176mの烏帽子岳の山頂近くの展望台。浅茅湾のリアス式海岸の360度の雄大な景色が眺められた。参拝してきたばかりの「和多都美神社」の鳥居も見える。AUの通信基地局になっていると、保守管理の男らが働いていた。頂上設置の望遠鏡で覗くと白い建物が先に3・4棟対岸に見えた。あれは50km先の韓国なのだろうか? 「和多都美神社」身代わり鳥居 「和多都美神社」身代わり鳥居 鳥居が海中に建つ「和多都美神社」 「和多都美神社」の豊玉姫の命の墳墓がこの奥に。   金石城跡 対馬藩主宗家の居城。歴代藩主の墓所がある万松院のちかくに建つ楼門 現在は対馬博物館への入口となっている。 日朝の交流に多大な尽力をした人  

壱岐・対馬の旅3 (対馬)

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 壱岐・対馬の旅3 郷ノ浦港からカーフェリー「きづな」で厳原港へ。気象通報で「いづはらでは~」と読み上げるのを聞いた記憶がよみがえり、「いづはら」とはここの事だったのかと、発見した気分である。カーフェリーは揺れて揺れて船酔いにずっと悩まされた。2時間10分の船旅。 厳原港(対馬)も風光明媚で、瓦屋根の豊かな明るい土地である。緑豊かなかつての日本らしい風景が広がっていた。 郷ノ浦港→厳原港 厳原徒歩見学(萬松院→イオン→八幡神社→中村地区) 郷ノ浦港 壱岐よさようなら 原島、大島、長島を巡って一路対馬へ 対馬、厳原に到着。梅雨空の中萬松院へ 対馬藩2代藩主宗義成が父・義智の冥福を祈って元和元年(1615)に建立した萬松院 徳川歴代将軍ご位牌 萬松院 朝鮮通信使が江戸まで行かない場合、ここで拝礼した。 対馬藩宗家の御霊屋 創建当時の儘の萬松院門(御霊や)重文。 韓国との国境の島 朝鮮半島まで約50km 九州まで約120km 厳原八幡宮 神功皇后が三韓征伐の帰りに清水山でみずから祭祀を行い、異国の侵略からこの土地を守るように祈りをささげたと伝えられている。 八幡宮 八幡宮境内に、安徳天皇を祭り、小西マリアが合祀されている社。 対馬藩10万石の街並みを彷彿とさせる武家屋敷地区 街を巡る石垣が重厚である。 厳原の落ち着いた街並み キアゲハがたくさん躑躅に群がっていた。