投稿

ラベル(持明院)が付いた投稿を表示しています

散歩・・

イメージ
 散歩・・ 持明院→持明院七福神(1番)→曼荼羅渕→白梅→獣魂碑→長久寺→長久寺七福神(2番)→すわぶきそん→紅梅→中根氏の墓→勢揃い橋→所沢駅 4km この冬1番の寒さという予報であったが、昼近くには陽だまりが心地よく、紅梅・白梅・水仙・オオイヌノフグリの水色の花もところどころに見え、散歩日和であった。 所沢七福神めぐりと、河童のわび証文の伝説の地曼荼羅渕の見学を楽しみにゆっくりと歩いた。曼荼羅渕は現在所沢市下水道課の敷地の先となっており、水道課の方に断って敷地内から見学させていただいた。柳瀬川の水量は少なく、河童が棲めるような淵には見えなかったが、2年くらい前の大雨の日には川の水が敷地内まであふれるほどであったという。帰りがけに気づいたのが、立派な獣魂碑だった。由来は分からなかったが、勲二等なにがしの人が、獣魂碑を立てることに尽力したらしい。 長久寺では「すわぶきそん」という「咳に効くお地蔵さん」がこれからも活躍してくださるのではないかと印象に残った。 所沢駅前「ポケモン・マンホール」 長久寺 旗本中根氏の墓 「すわぶきそん」の入っているお堂 「すわぶきそん」 長久寺の七福神{大黒天} 長久寺隣りあわせに「豊川稲荷」 長久寺 持明院下の「獣魂碑」 おおいぬのふぐり 曼荼羅渕・河童のわび証文の地 持明院から竹やぶ越しに見た曼荼羅渕 曼荼羅堂 空海・弘法大師がこの地で曼荼羅を書いたというお堂にちなんだ建物。 持明院 七福神「ゑびす大黒天」(1番) 持明院

所沢の民話の地

イメージ
2020.5.18 所沢の民話の地を行く 所沢にも民話や伝説が残っている。その地を訪ねて民話の世界に浸りたく思っていたので、自転車で回ってみた。 1山口の来迎寺: 伝説 車返しの弥陀 行脚の弥陀  2山口の 桜淵地蔵尊  3久米の 勢揃橋  4北秋津の持明院: 河童の詫証文  行程約3時間 自転車の走行を含め8000歩。 民話は「所沢史話」(所沢市教育委員会発行)を参照した。 1.山口の来迎寺    来迎寺 車返しの弥陀 その昔、藤原秀衡は奥州に城を構え、奥羽地方一帯に勢力を持っていて、どの戦にも負けたことがありません。これは秀衡が運慶というひとの作った阿弥陀三尊を守り本尊として、日夜拝んでいるその御利益によるからです。これを伝え聞いた時の将軍源頼朝は、欲しくてたまらずこの阿弥陀三尊をぜひ貰いたいと、秀衡のところに何度も遣いを出しました…… ようやく府中の近くまで来ましたところ、車が急に重くなって動かなくなりました…… 来迎寺に収まった阿弥陀如来さま、なんと夜遅く厚く信仰している老夫婦のところに行き一夜の宿を借りているのです。 2.桜淵地蔵尊 今からおよそ200年ほど前、山口の町谷の かね善という紺屋があり、職人が12,3人もいて手広く営業していました。かね善の主人は努力家で、腕一本で財産を作った人だから、家業のほかは何も考えません。ところが息子の吉之助はちょっと上品な人柄で、村の娘たちの話題に上る青年でした。一方同じ山口の新堀に住む左右衛門の娘おりんは、「今小町」と呼ばれる評判の娘でした。この二人は仲良くなり、おりんはかね善に嫁入りし、近所の人々からうらやましがられました。ところが……  やがて淵から赤子の死体が流れてきて……おりんは気がくるってしまい……妹で子守のおくらは桜淵へ身を投げてしまいました。 何とも悲しい結末です。(水量が少ないように見えますが、柳瀬川の上流に狭山湖ができたためと考えられます。昔は水量豊かな川であったと考えられます。)  3勢揃橋 新田軍が久米側の戦いに際し勢ぞろいした、勢揃橋。  4持明院 河童の詫証文 北秋津持明院のすぐ南、久米との境に柳瀬川の深い淵があり、「曼荼羅淵」と呼ばれていました。そしてここは、井草の「袈裟坊」・笹井の「竹が淵」と共...