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こもれび 2025

こもれび  2025 (短歌) ( 1 ) ・ジュディ・オングがよく喋る少女でありしこと痛快として小五の記憶 ・遺されし台本資料手に取れば「七人の侍」立ち上がりくる ・貝合わせの美しき片貝文箱にあり「奇人」で結構と卜全ひとりごと ・「老人と子供のポルカ」はやりしとき左卜全足を病みをり ・猿島の緑に浮かぶ対岸はきらきらと光(て)る横須賀の町 ・海上にこんもりと森 猿島にクロフネといふ渡し近づく ・猿島に要塞残れり鬼女蘭とふおどろおどろしきが花開きをり ( 2 ) ・マンションの谷間に残る重文秋田家住宅今日ボランティア ・メモリアルな明治を写すガラス窓 人それぞれの人生が見ゆ ・あさの葉麻の障子戸涼しくて夏の装ひ商家の座敷 ・「主治医さん若い人だね」とささやけば「我らが年を取り過ぎたのだ」と夫 ・「日光」と真逆な三猿 甚五郎「見よ聞け言へ」とは庶民の心 ・武蔵野国秩父神社の三猿はよく見よく聞きよく喋る猿 ・走り読みして間に合はす返却日この二週間の怠惰を悔やむ ( 3 ) ・ヘチマの蔓片付けるからすぐに来て友にせかされ自転車を漕ぐ ・ヘチマ水取れたら欲しいと言ひ置きしを友は覚えて電話をくれた ・ヘチマ液ペットボトルに受け止めて待つ間に友と糸瓜の談義 ・小一時間ペットボトルに受け止めて「ヘ」と「チ」の間持ち帰りたり ・我が畑キウイと葛とが縺れ合ひ龍と蛇とが戦ひをりぬ ・状況は同じではない 連れ合ひが癌といふこと痛み分けする ・人は死ぬものとて二つなき 先進治療に希望をつなぐ ( 4 ) ・通ひやすきと受診したるB医大 ステージ 4 では手術はできぬ ・不安なる老いを尻目に転院をと容赦なき方針示さる ・新しき抗癌治療求めて来 ステージ 4 なる爆弾抱へ ・イタリアの個人医院の静かさに受診をすます ミッドタウンクリニック ・この先に東京タワーが見えるからちと行きて見ん のんきな私 ・美しきシンボルタワーに力あり 鋼鉄の足がしつかり昭和 ( 5 ) ・安穏と亭主元気で留守がいいと言ひてゐられず夫癌を病む ・米を研ぎ野菜を洗ひ鍋を洗ふこんなにも水に親しむ指に皸 ・ホトケノザ姫踊子草と混じり合ひ早春の野に白花も咲く ・前日までラジオに出演せし...

高麗郷(日和田山)散策

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 高麗郷(日和田山・高指山・物見山)散策 秋らしい日差しと曼殊沙華の便りに誘われて、またこの1年ゆっくりと散策したことがないという思いに駆られて、高麗の里に出かけた。曼殊沙華も見たいが、日和田山に登って、その下の巾着田の様子を眺めたい。そして、その先の物見山(いつも躊躇して引き返していた)にも行きたいとひそかに考え、地図も持たずにあたふたと出かけた。 高麗駅に着き、まずは曼殊沙華見物の人の流れに乗って高麗川を渡り、曼殊沙華祭り会場に行こうか、日和田山に登るべきか迷いつつ高麗本郷の交差点でしばし考えたのち、やはり先に「日和田山」に登ろうと高麗神社方向に向かい、登山口を探して歩く。 高麗駅シンボルのトーテムポール (11時過ぎに到着) 日和田山登山口 田部井淳子さん顕彰碑 日和田山登山口には曼殊沙華が満開 よく整備され、歩きやすい登山道を行く 2の鳥居 西武球場の銀色の屋根がはるか先に見える 金毘羅神社を越して頂上を目指す 日和田山頂上 (12時頃 昼食) 小学5年生の遠足の子どもたちが続々到着。子供たちは物見山の方から登ってくる。先に進むか迷っていた心が決まる。子供たちが上ってきた「物見山」を経由して武蔵横手駅へ行こうと。 日和田山頂上の標(302m)昼食休憩30分弱後、高指山を目指し急な崖路を下る。 高指山頂上からの眺望(特徴的な大岳山が見える) 高指山(332m 午後1時頃) 高指山から物見山へ 物見山頂上(375m 1時半ごろ) 物見山から下る途中 「五常の滝」近くの流れ 「五常の滝」は門が閉まっていて見学できず。 登山道のアキギリの花 民家の傍にはすでに「金木犀の花」が満開 武蔵横手駅に無事到着(2時40分頃)     30分ほどの待ち時間で電車が到着 いつも日和田山から引き返していた残念な思いが、今日解消された。物見山から駅までの1時間余り、林道を淡々と歩く。非常に単調に感じられたが、念願かない満足した。 今どきの小学生の遠足登山、先生方も大変ご苦労なさることと思いをはせた。ゴミを拾いながら行く素直で良い子供たちだった。

秋を訪ねて(草津)

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 秋を訪ねて(草津) 自然はそこにあって然るべきもの。いつもの秋を探して草津を散歩。森の中は熊出没注意の看板をよそに1,2時間の散歩で見つけたいつものいとおしい植物たちである。 (付録)今年3回目の開花となる月下美人の花を撮影したので、下に秋の風景として付け足した。 シラヤマギク ミヤマアキノキリンソウ ツリフネソウ ススキ(オギか) ヤマハギ ツリガネニンジン マツムシソウ マツムシソウにカラスアゲハが飛んできた(羽の裏が白いのは?) フウチョウソウ オミナエシ キキョウ(これぞ秋というような風情) マツムシソウの群落 メイゲツソウ サワギキョウ ヤナギラン(7月の下旬から咲いていたか、名残の花を見つけた) (付録) 我が家に咲いた月下美人(8月30日午後11時ころ)

桶川歴史民俗資料館をたずねて

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  紅花の里 桶川歴史民俗資料館 チョッとした用事があって桶川に来た。住居地の所沢からはそんなに離れてはいないのだが、秩父山地から離れたせいか、グッと関東平野のど真ん中に来た感じだ。荒川の土手を過ぎて田園地帯の真ん中に圏央道が走り、道の駅ができた感じの「紅花の里」道の駅である。 埼玉でありながらこれまで来たこともなく、別天地の気配さえする、「紅花の里」という優雅な名前に惹かれ道の駅に寄ってみる。ネットで調べると、江戸時代後期には「紅花」の生産量は山形に次いで、全国2位ということであった。 更に調べてみると、ある本に川越藩が庄内藩と藩替えになったとき、庄内藩にきれいな紅花が咲いていて商品作物であることを知り、当時川越藩であった貧しい桶川の農民に紅花の種を渡して栽培を促したと伝えられているという。 万葉集や源氏物語の「古代」のロマンにあふれた紅花への思いを馳せて、道の駅へ寄り、隣接している「桶川歴史民俗資料館」に寄ってみたのだが……   紅花については一切触れていなっかったのが物寂しい限り。それでもゆっくり見学し、土壌の違いなど風土の違いを感じることができた。 桶川歴史民俗資料館へいざ!! 紅花を頭に戴いた市のマスコット人形 桶川宿の街並み  桶川宿の街並み 文久元年ごろ(1861) 中山道が街の中心に通っている(皇女和宮も通った道) 縄文時代からの歴史のある町 遮光土器など 国の重要文化財に指定されている 市内にはたくさんの遺跡あり 土壌の違いに興味を覚えた 「ドロツケと麦作」 馬の背に付けた「スリカ」という道具に「ヤドロ」(荒川の河川敷の肥沃な土)を積み、少しずつ畑へ運びしき込んだ、この作業を「ドロツケ」と呼ぶ。主に麦作用。 「摘み田」 大宮台地の沼田は「ドブッタ」と呼ばれる深田が多い所。ドブッタでは深い泥に足が取られてしまうため、足場を確保するために田の底に丸太を渡していた。それでも足がとられてマンノウなどの農具の柄を支えに、足を引き抜くなど農作業は大変苦しい物だった。 この地方では稲作は直播栽培で行われた。春先に堆肥や灰にまぶした種もみを摘まんでは蒔きつける「摘み田」と呼ばれる方法で行われた。稲刈りでも刈った稲を選ぶ「田舟」という舟に乗せて運んだ。昭和30年代まで行われた。 サツマイモの栽培 サツマイモの伏せ床(苗作り) 甘藷は主に桶川駅から東北地方に出...

高山植物の女王 (コマクサ)・八ッ場ダム

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 高山植物の女王 コマクサ 草津に行くと夏にはコマクサを求めて登った本白根山は、しばらく前の噴火の影響で登りにくくなってしまった。山頂近くのガレバで咲いていたコマクサを懐かしく思い浮かべながら、草津の道の駅近くの高山植物園を覗いた。ここは標高が1300m、本白根山は2200mくらいか、ここのコマクサの咲くのが山頂より幾分はやいように思った。 お天気の良い日でカメラのファインダーが良く見えず、眼蔵めっぽう押した。 たくさんのコマクサが見られて幸せでした!   八ッ場ダム 標高ムサシ(634m)ほぼ満水