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京都 嵐山 野々宮

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京都 嵐山 野々宮 嵐山 渡月橋の上から見る とうとうたる流れ。嵐山らしい趣のある流れだ。 行き当たりばったりのバスの旅、この表示を見てこのまま歩いて天龍寺も見学しよう。昔修学旅行で訪れたことがある、龍が懐かしい。 渡月小橋左手には屋形船が係留されていた。 渡月橋 左側の眺め 渡月橋  表示にあった「荒電駅」前も大変混雑していた。 人ごみを掻き分け、天龍寺到着 まずは天龍寺の天井絵を拝見(写真撮影できず、パンフの写真)修学旅行で天龍寺の天井絵を昔見たが、それよりスッキリとした感じの絵である。 ぼろぼろで修復がかなわない状態であったので、新たに「加山又造」画伯に依頼したものという。 八方睨みの龍 この建物の天井絵 天龍寺の庭園 枯山水庭園 昔もこんなふうに眺めたっけ! 新緑の庭 苔が美しい 天龍寺本堂屋根 以前の天井絵を描く際に墨を摺った硯だそうな 竹藪 筍もずいぶん大きくなっている。 野々宮へ 源氏物語の世界へタイムスリップ 小柴垣を巡っての野々宮参りが象徴的 静寂 また小雨が降りだした。 野々宮神社

京都 蚕の社 嵐山

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 京都 蚕の社(かいこのやしろ) 嵐山 今回の旅の目的の一つに、養蚕の始まりを探すことと決めていた。 養蚕は卑弥呼の時代「魏志倭人伝」にも養蚕をしていたことが描かれているという。また、数年前九州の世界遺産「宗像大社」を訪ねた折に、古墳時代大陸から4人の織姫が招請され、1人は宗像の地に請われて残り、残りの3人は大和朝廷の招請に応えるべく、上京して行ったという。宗像の地には織姫の居た場所などの遺跡が残っており、大和?に向かった3人の足跡も残っているに違いないと想像していた。その後の養蚕の流れが知りたいのだ。 「蚕の社」に向かうべく、京都市バス11系統を探し、乗車「蚕の社」バス停で降車。 「蚕の社」バス停先からの参道 参道を歩くこと5分 「蚕の社」到着 森に囲まれたうっそうとしたお社 「蚕の社」の本名は 「木嶋坐天照御魂神社」 由来は天宝元年(701)以前創建された神社。古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織りなどに優れた技術を持っていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る養蚕神社(こがい)(東本殿)があり、「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。 ここで、「古墳時代に朝鮮半島から渡来し」という言葉が先に紹介した事項と一致する。かの織姫3人とは限らないが、当時朝鮮半島から最新の技術を持った渡来人がたくさん来て、この地で日本の養蚕・染物の発展に貢献をしたこと間違いない。冠位十二階による色分けされた美しい朝服などが作られたことだろう。 (詳細を聞きたかった西陣会館が休館日であったこと誠に残念である) 拝殿 本殿 雨水の神(糺すの泉) 市バス11系統先 「嵐山」バス停より 渡月橋

京都 洛中

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 京都 洛中 小雨模様が恨めしい。まずは京都駅近くから、徒歩で「渉成園」から「文子天満宮」へ、それから地下鉄で鞍馬口で降り、茶道家元の家を拝見し茶道博物館で知を深め、西陣会館で蚕について学びたいという大まかな予定。 渉成園を取り巻く石垣 東本願寺の別邸「枳殻園」ともいう 渉成園 庭園 小雨に濡れて緑がきれい ショウブの花が一部咲いていた 京都タワーが見える ユニークな形の茶室 渉成園を出て数分の「文子天満宮」 所沢の北野天神にも祭られていて、「文子天満宮」の神前で4月3日に「養蚕祭」が行われ参観したので、ぜひ本山に詣でてみたいと思ったのである。 「多治見文子さま」像 「菅公」の腰掛椅子 堀川通へ出て地下鉄5条駅を探す。 東本願寺築地 地下鉄鞍馬口 茶道のお家元 両千家を探しに来た。 茶道を一寸齧っているので、お茶室を外から拝見したい。 地下鉄の鞍馬口を出て、右へ歩くこと10分、角を曲がったところ。 戦国時代応仁の乱・文明の乱(1467-1477)の主戦場 この看板の右手に、表・裏千家茶道家元の家が並ぶ。静かで、きりりとしまった空気感が漂う。 表千家 中に植木職人が作業していたのでちょっとお邪魔虫。 裏千家 この奥に「今日庵」 裏千家 落ち着いた雰囲気が漂う 裏千家茶道博物館は休館日でした。残念! この後、堀川通まで散策、源氏物語ゆかりの地という札をいくつか拝見する。 西陣会館も休館日、残念なことが続いたが、次は養蚕に関わる「蚕の社」へ行こうと気を取り直しバス停を探す。