日本のポンペイ 史跡 黒井峯遺跡


 日本のポンペイ 史跡 黒井峯遺跡

古墳時代のタイムカプセル(渋川市教育委員会編集のパンフレットより引用)

黒井峯遺跡は吾妻川左岸の台地上にある、6世紀中ごろの古墳時代後期の集落遺跡です。古墳時代のある日、黒井峯の南西10kmにある榛名山が噴火しました。山は大量の軽石を次々に噴出し、やがて辺りは一面真っ白な軽石に覆いつくされてしまいました。

それから約1,500年。2mもの厚さに積もった軽石の下から、災害当時のまま現れた集落の姿は、ベスビオ火山の噴火により壊滅的な被害を受けたイタリアのポンペイ遺跡に勝るとも劣らない衝撃を私たちに与えました。軽石が当時の地表面や建物などを瞬く間に埋めてしまったことにより、それまでの常識では考えられなかった新しい情報が数多く残されていたのです。

 黒井峯遺跡の発見によって、今までは十分にわからなかった古墳時代の集落の姿が明らかになり、より豊かに当時の人々の暮らしをイメージできるようになりました。このような重要性が認められ、平成5年(1993)国の史跡に指定されました。(引用部分)

遺構からは、高床式建物、家畜小屋、平地式建物、竪穴住居、屋外作業場、垣、柵、土盛りの地境、水場、道、畑、水田、樹木、大型祭祀などが発掘されています。残された広大な土地と榛名山を望みながら、日本のポンペイにしばし想像力を働かせていました。

榛名山を望む 左から二番目のピークが榛名山二ツ岳、この噴火により2mもの軽石が飛んできて村は埋没した。
右の山は赤城山

赤城山が見える
西側の丘陵下は吾妻川の支流が流れ、水田地帯のようであるが、黒井峯遺跡の丘陵部分は軽石が積もっているため、住居や農業に適さず荒れ地として残されてきたらしい。

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