こもれび(19)

こもれび(19) 2011

 

む 2011

 

初釜に着物着せやると腰ひもをまはせば細き娘の体

 

坪庭に紅梅咲けど見る人のゐない来ない 寂しい家だ

 

もの覚え悪きは年のせゐにしてフラダンス夢の中にも踊る

 

車いすに座るホームのお年寄り木よりも深く見つめてくれぬ

 

それぞれの幹の太さを知らざればただひたすらに踊るフラダンス

 

紙吹雪のやうな老いがそこにゐてにこにこひらひら手振りてゐる

 

カルチャーのそれぞれに先生がゐてこの世に明るき先生ばかり

 

卒論が間に合はぬと弱音吐きゐしが今日は卒旅と出でて行きたり

 

就職難を逆手に取りて求職もせぬ子が選ぶ研究生

 

日暮れまで私は私 地図を手に神社仏閣訪ねて歩く

 

春風は散りくる花弁巻き込みて小さきつむじになりて遊べる

 

三月十一日午前帰国の娘午後帰国の息子震災その後

 

五月一日新緑の中の虎祭り牡丹の寺は牡丹が咲きて

 

猫撫づるごとく狛虎の背をなづる毘沙門天様お守りなされ

 

三富の牡丹の寺の虎祭り三百年の虎の威を借る

 

享保より開拓されし三富の畑のいづこ揚げ雲雀鳴く

 

百枚の花弁見よとて誇るごと日のもとに咲く牡丹の花は

 

乞食も托鉢僧も来ぬ世界所得倍増中流と呼ばれ

 

強風にポキツと折れぬか百メートルの高きビル建つ目障りなビル

 

水に入れば太古の私大胆に腕を伸ばして足に探りて

 

時を越える水のやさしさ水中に手足伸ばして宇宙にひたる

 

そら豆の莢を剥きぬ大切にしまわれし命むき出しにせり

 

紫の衣まとひし天女はも(せり)()飛燕(ひえん)(さう)林床に咲く

 

芭蕉翁立ちたまへるや高舘の上に北上川流るるを見る

 

義経が妻と娘の墓所もある金鶏山こそ悲しき墓標

 

あと一キロが二キロ三キロと伸びてゆく何処までつづく空と山のあひ

 

赤き屋根なだりに見えて心強し笹に(うづ)もる芳が平そこ

 

ちちのみの父の書きゐし黒き手帳棺に納めて封印したる

 

入院の父が書きゐし黒き手帳『蝉声』読みて甦るなり

 

炊爨の爨の字まさに「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」(石垣リン)

 

はちきれむばかりに鳴ける蝉の声生きとし生けるものの残照

 

遅れ来るものの哀しみか仲秋を過ぎて一つ鳴く蝉の声

 

手触るれば手妻のやうな素早さにツリフネサウの莢果が爆ぜる

 

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