こもれび(2)
こもれび(2)
読み返してみると、短歌といっても過去の日記のようなものである。どこに行った、こんなものを見たという嘱目詠が多い。このブログに書いている「こもれび」と同じようにつれづれの時間を過ごした残渣、感慨なのだ。作者にとっては意味のある断片であるが、他の読者に楽しんでいただけるような何かがあるとよいのだが。
え 1978
言ふことごと君の心に障るらし楽しき思ひ出あれば悲しき
君とゐて忽ち暮れし秋の午後落日赤く秩父嶺に入る
富士の嶺ひとひらの雲留まりて小春日の空あくまで遠し
落葉松の落ち葉積もれる木下道ふかふか絨毯踏みしめてゆく
共に登りし熊野岳の駒草が君の手になり賀状にあたらし
氷雨止み黒き大地よ一斉に蒸気湧きいづ大地ぬるめる
開け放つ車窓明るし吊られたるチラシ広告さらさらと鳴る
返還地に大金鶏菊の咲き盛り黄色に弾む初夏の明るさ
俯瞰する位置にてロータリー眺めをり洋風ランプ淡く灯りぬ
ゲームセンターに戯れ遊ぶ高校生背高ければ無聊気に見ゆ
はるしゃ菊咲き盛りしを思ひつつ整備されゆく基地跡めぐる
何もかも口答へする生徒らがひどく憎らし我も若くて
反芻する牛のごとくに浮かび来る過失が苦し 明日が重い
鉄橋の強きライトの輪の中に雲霞の如し光る虫飛ぶ
わけもなく寂しき日にて生け花のお花を抱きて帰り来るなり
お 1979
手児奈堂の祭り賑はへる路地裏の小さき店に珈琲を飲む
かさかさと落ち葉踏みゆく武蔵野に仄かに充つるくぬぎの香り
両神の黄葉なせるはぶなならむ双眼鏡に揺らげる眼
君は待つ哀しみ知らじ駅の灯の下にうつむき我は待つ人
腕白時代と君は言ひつつ我が手引く崩れやすき小道越えんと
平凡な待つ身の母と友は言ふ嬰児抱きて誇らしげなる
秩父嶺が思ひの外に近づけり新たな職場は丘陵の上
郭公も雀も来鳴く屋敷林 立夏の夕暮れ長く明るむ
一瞬の過失が我の胸を刺し生きるに難き一年がすぐ
最上川広き流れに沿う道に船着き場あり芭蕉乗りしと
芭蕉翁下りたる最上川の両岸に谷卯木(たにうつぎ)咲く五月末つ方
山陰に咲き極まれる谷卯木背負ふ女とすれ違ひたり
泰山木大き四五本植ゑたしと友は言ひたり学生の頃
朝光にフェリーのはきし白煙が海原になびきかすか棚引く
朝霧の凪たる航路を横ざまに一筋白く小舟がゆきぬ
粗削り曲がりくねる墓標立つアイヌの墓地に雌日芝みどり
旅なればアイヌの墓地も訪れぬ草むらに立つ墓標の白さ
雄日芝の繁りたる校庭に飛蝗飛び夏は終わりぬ今日から二学期
秋霖の細き夕べに霧しまき基地なる跡地公園となる
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