所沢市出身の三上(高川)文筌2


所沢市出身の三上(高川)文筌 
(その2)

 生い立ち
下宿(現所沢市御幸町)の問屋「坂下の三上家」生まれ( 名は平蔵) 
平蔵は江戸下谷の谷文晁の画塾「写山楼」(門弟に渡辺崋山、江川担庵ら)に入り師の一字をもらい文筌と名乗った。門人一覧には(野村文紹作)には 武蔵所沢産 初称平蔵 実性三上。物故書画家人名辞典には ?-1858 名は惟文、字は森嶺、雅号 文筌、可学斎、水竹居と書いてあるが、生い立ちや谷文晁入門の経緯等は皆目資料がない。

    松代藩依頼の絵
松代藩の(御側御納戸日記)によれば8代真田幸貫が頻繁に谷一門に絵を依頼している。谷文晁本人、文一(養子)、文二(実子)に混じって三上文筌の絵もある。
1839(天保10年)「北斗之画」三上文筌(褒賞300疋)1840天保11年「襖波之絵」谷文筌(褒賞800疋)、1846弘化3年「日光表江被召す連」伊沢美作守
家来-三上文選(褒賞5両)である。
最後のものは8代藩主幸貫の日光参詣に同行し、自草加至日光真景図、光山裏滝観音図等多くの絵を描いている。






8代真田幸貫の絵)





                       真田幸貫の像


  長崎で書いた絵 
唐蘭館図巻1843天保14年の存在も知られている。原図には長崎官邸水竹居主人文筌 三上姓(この時の長崎奉行は伊沢政義)

                              唐蘭館図より





追加
所沢市上山口 金乗院奉放光寺(山口観音)扁額
富士巻狩図大絵馬(天保9年 1838)





 

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