『首里の馬』を読む

 2021.4.19

『首里の馬』を読む

『首里の馬』を読む 高山羽根子 新潮社(2020.7.25

わが身を重ね合わせて読んだ。寂しい物語である。引っ込み思案で人との交わりが得意でない未名子。ひっそりと真面目に暮らしているのであるがいつか孤立をしてしまうことに気づく。なぜだろうと思ってきたが、内面が伝わらないために周囲から不気味な人と思われているからだろう。そういう人生の生きづらさが表現されていて、情報の在り方・戦争・孤独など、心惹かれた重いテーマが語られている。

・情報の在り方・取り扱いについて (差別偏見に晒されながら心ある人に守られて細々と情報が残されていく。)

・人は戦争から逃れられないのか 

・心の有り様・生き方・孤独ということについて

以下に心をひかれた箇所を抜粋した。

 

91~p92

未名子は、資料館で今とよく似た、思いあたることがいくつかあったことを思い出す。子供のころの警察官だけじゃなかった。ひとりの市民として、完全に健全な形ではなかったかもしれないけれども生きて、働くようになってからはひとまず一定額の税金を納め買い物をし、人を傷つけず、社会の中でひときわ迷惑をかけているつもりはなかった、なのに。

 未名子や順さんのような人間が、世の中のどこかになにかの知識をためたり、それらを整理しているということを、多くの人はどういうわけかひどく気味悪く思うらしいということに気づいたのは、あるときいきなりじゃなく、徐々にだった。

 未名子は社会のほかの人たちに対して、とりたててなんの文句もいうことなく、ただ黙って資料の整理を続けていただけだ。いや、もし未名子がなにか世の中のことについて文句をいっていたり、多少の迷惑をかけていたとしたって、それとは別に集めてきた知識がなんの非難にあたるというんだろう。人がなにかを集めること、自分の知らないところでためこまれた知識を警戒することは、ひょっとしたら本能なのかもしれない。無理やり聞きだすわけでもなく、ただ聞いて調べ記録していくことも、ある人たちにとってはとても卑怯で恐ろしいことに思えてしまうんだろうか。

 順さんの資料館やカンベ主任がしつらえたスタジオは、ひょとしたら多くの住民にとって魔女のやかたみたいに考えられているのかもしれない。未名子は黙って歩きながら、いつの間にか涙をこぼしていた。悔しさがどんどんつのった。そうして順さんのことを考えた。この、はっきりとそれといい切れないくらいの理不尽に、今となったら順さんは、怒ることも悲しむこともできないのだ。

115 ギバノの話

でも、世界中で、戦争と関係ないポーズで生きるのは無理だった。経済、政治、文学、生き物の研究も、全部に戦争が関係する。戦争の役に立つかが、大切になった。僕は長い長い殺し合いで、進化した一番新しい人間だ。今生きているのは、親の親の親が人や動物をたくさん殺したから。僕は殺した方の子ども。戦うことの好きな、強い生き物が残って、殺すより死ぬほうを選ぶ生き物は、消えた。

141どんなに近所の人とうまくやっていても、自分たちの中に特別な暴力性がないと主張しても、人は、知らないことで人が集まって、なにか隠れるような生活をしている人のことを、あのとき以来とても怖がるようになってしまった。みんなが知らないところで、みんなの知らない組織を作っていること、それ自体が政治的な意図の大小にかかわらず罪と認定されるようになってしまった。

150

 この島の、できる限りの全部の情報が、いつか全世界の真実と接続するように。自分の手元にあるものは全部の知のほんの一部かもしれないけれど、消すことなく残すというのが自分の使命だと、未名子はたぶん、信念のように考えている。これが悪事だというなら、いくら非難を受けても、なんなら捕まっても全然かまわないという、確かな覚悟もあった。

154

世界全部、宇宙のすべてを基準にしたら、この島全体も塵の一粒より小さい。それよりもさらにずっと小さい未名子とヒコーキ、そのリュックの中の、未名子の指先ほどのマイクロSDカード、その中に詰まった、この世界の情報たち。画像や音声。古い骨、新しい骨。(略)彼らだけでなくてきっと米国や日本、あらゆるところにいる誰もが、―もちろん自分も―なにかの知識によって呪いにかかった亡霊だとも考えた。

157

 これから毎日すべてのものは変わる。でもある一点までの、この周囲のすくなからぬ情報を未名子は持っている。どんなにか世界が変わったあとでも、この場所の、現時点での情報を、自分であれば差し出すことができるという自信があった。このことを未名子は誇らしく思う。未名子のリュックに詰まっているのは、数日前まで資料館の中に在ったすべての情報だった。役に立つかどうかなんて今はわからない。でも、なにか突発的な、爆弾や大嵐、大きくて悲しいできごとによって、この景色がまったく変わってしまって、みんなが元どおりにしたくても元の状態がまったくわからなくなったときに、この情報がみんなの指針になるかもしれない。まったくすべてがなくなってしまったとき、この資料が誰かの困難を救うかもしれないんだと、未名子は思った。


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