蒔田さくら子作品を読む(2)
2020.7.20
蒔田さくら子作品を読む(2)
すずめの歌
蒔田さんはお住まいのベランダにくる「すずめ」との日々の交流を巧みに詠まれ、通して読むと連作のように読める。七首(カッコ内は発表年月号)
①どこかに見張るすずめゐるらし餌まけばおづおづ一二羽たちまち数羽(2019.1)
②わづかなる米撒けばかならず来るすずめさびしき今日はいくたびも撒く
③交々に訪ひくるすずめは十羽まり昏れて月待つベランダとなる
④他愛なきことなれひとり住まひにはすずめ訪ひくる慣ひもうれし(2019.4)
⑤待つ人はをらねど帰るベランダにすずめ何羽が待つかと帰る
⑥ベランダに馴れてすずめがきてをりぬ夫あらばこゑをかけて居らむに(2019.11)
⑦ベランダの縁にしばらくゐるすずめ何見るかちさきちさきその目で
地味でどこにも見られるすずめだが、小さく愛らしく生き生きとして、野生の鳥も慣れることがあるのだと発見した気持ちになった。
①の作品 すずめがベランダに来ているので、餌をまくとおづおづと警戒しつつ食べ始めた。するとその様子をどこかで見ていたのだろうか、安全とわかるとたちまち数羽のすずめが加わって食べ始めた。「見張る」という語に作者の経験知が込められていて、一度ならず餌をまいた経験からか「見張る」「おづおづ」「たちまち」というすずめの行動が的確に把握表現されている。
②「わづかなる米」人間にとっては「わずかな米」であってもすずめにとっては御馳走。そのわずかな米を撒くと必ず飛んできて食べてくれるから、さびしい今日は幾度も米を撒き、呼び寄せる。すずめの無心の姿に昔物語が想起され、ファンタジー的である。「いくたびも撒く」に無言の寂しさが感じられる。
③餌を撒くと一〇羽あまりのすずめがこもごもにベランダ
に来てくれるのだが、日暮れとなった今はすずめもねぐらに
戻っていていない。人恋しい夕暮れで、月の出を手持無沙汰
にベランダに待っている。
④すずめに餌を撒くことなど「他愛なきこと」と他人には
思われるだろうが、一人住まいの私にはすずめが訪ねてくれ
るようになったことがうれしい。「他愛なきこと」と自分を矮
小化しているが、それでも私にはうれしいことだと素直な意
志表明をする。「他愛なきことなれ」の「なれ」に野生の生き
物に餌を与えることへの躊躇いが感じられるようだ。
⑤家には待つ人はいないけれど、これから帰っていく家の
ベランダにすずめが何羽待っているだろうかと想像しながら
帰る。「帰る」が一首の中に二度使用、リフレインのような効
果で、いそいそと帰っていく様子がうかがえる。
⑥すっかり馴れて「すずめ」がベランダに来ている。夫がもし健在であったならば、夫に声をかけて一緒にすずめを眺めたことだろう。夫の不在の寂しさをを不意に感じたひと時である。
⑦ベランダの縁にしばらく止まっているすずめ。何を見ているのだろうか、可愛い小さな目で。友達に接するようにすずめに感情移入して、何を見ているのか知りたいと見守る。
以上七首、いづれも愛らしい生き生きとしたすずめとの交流の姿、深まりが手に取るようにわかる。模式化すると
(すずめの動作) (作者の動作・感情)
①すずめはおづおづ、見張る ←作者、餌を撒く
②餌を撒けば必ず来る ←幾たびも撒く
③④訪ひくる慣ひ ←うれし
⑤⑥すずめが待つ ←何羽が待つかと期待
⑦縁にしばらくゐる ←何を見るかと考える
作者はすずめに対する親愛の情と観察力を発揮、すずめとの日々の交流から、己の寂しさを慰め受け止め、生の実感を得てゆく。
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