所沢出身の絵師 三上(高川)文筌
所沢生まれの絵師 三上(高川)文筌(ぶんせん) について(その1)
所沢市御幸町にある坂稲荷神社殿装飾画(1837年 天保8年作)市指定文化財 が 三上 文筌 によるものであり、幕末に黒船やペリー提督を描いたり、浦賀で饗応図を描いたりと写真のない時代に貴重な記録絵を残している所沢出身の人がいることをことを知った。
詳しく本で調べようとしたが容易には見つけられず、一般に知られていないようなので、講演会で聞いた概略を紹介する。(以下元町在住の登坂氏 人物相関図引用)
1818年(文政元年生まれ) 太字 文筌(ぶんせん)の描いた絵
↓
?谷文晁入門 「所沢にある絵」 「松代藩、その他の絵」」
1837年坂稲荷社殿絵 1838山水図下絵
1838金乗院絵 1839山水人物図
↓ 1839北斗図
1840襖波図
1840谷文晁没 1843長崎唐欄
(天保11年) 1847光英寺仏図 1846日光各種絵
↓
1850松代藩 1851世界人物録
医師高川家養子「松嶺」 1852聖像
↓
1853ペリー来航4隻 全権大使4名ー伊沢美作守
1854再来航9隻 饗応図、ペリー図、黒船等多くの作品
↓ (日米和親条約、文筌 伊沢付き医師として立ち合う)
1856多門院絵
1857品川6台場勤番
1858文筌 没 赤坂・盛徳寺
文筌 絵
↑ 亜米利加使節饗応之図
所沢市御幸町にある坂稲荷神社殿装飾画(1837年 天保8年作)市指定文化財 が 三上 文筌 によるものであり、幕末に黒船やペリー提督を描いたり、浦賀で饗応図を描いたりと写真のない時代に貴重な記録絵を残している所沢出身の人がいることをことを知った。
詳しく本で調べようとしたが容易には見つけられず、一般に知られていないようなので、講演会で聞いた概略を紹介する。(以下元町在住の登坂氏 人物相関図引用)
1818年(文政元年生まれ) 太字 文筌(ぶんせん)の描いた絵
↓
?谷文晁入門 「所沢にある絵」 「松代藩、その他の絵」」
1837年坂稲荷社殿絵 1838山水図下絵
1838金乗院絵 1839山水人物図
↓ 1839北斗図
1840襖波図
1840谷文晁没 1843長崎唐欄
(天保11年) 1847光英寺仏図 1846日光各種絵
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1850松代藩 1851世界人物録
医師高川家養子「松嶺」 1852聖像
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1853ペリー来航4隻 全権大使4名ー伊沢美作守
1854再来航9隻 饗応図、ペリー図、黒船等多くの作品
↓ (日米和親条約、文筌 伊沢付き医師として立ち合う)
1856多門院絵
1857品川6台場勤番
1858文筌 没 赤坂・盛徳寺
文筌 絵
↑ 亜米利加使節饗応之図
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