太平記の里 新田の荘

 太平記の里 新田の荘

足利の荘から新田の荘へ、移動すること約30分。ここは何か埃っぽい。渡良瀬川と利根川に挟まれた隣町(群馬県)だが新田義貞が挙兵した神社の土が乾いたざらざらした異質な感じを受ける。足利の土地が雅で洗練されている感じにいたく感動したためかもしれない。

生品神社-世良田東照宮ー中宿遺跡(埼玉県・奈良時代遺跡)を巡る。

生品神社 新田義貞公が鎌倉(北条氏)を討伐するために1333年旗揚げした神社。

世良田東照宮の由来  寛永21年(1644)、3代将軍徳川家光公は、世良田が徳川氏の先祖の地ということから、日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築し、家康公をお祀りしました。以後、幕府の手厚い保護を受け、徳川家代々礼敬を尽くされました。

中宿遺跡 奈良時代・郡衙が置かれた土地らしい。すれば東山道武蔵路はここに達していたのだろう。郡衙の倉庫群は租庸調で集めたお米や品物を入れる倉庫であったのだ。都人や早馬で都につながりのある人たちが行き来をしていたものと思われる。ロマンだ。

新田義貞公銅像(再建されたもの)・生品神社

生品神社本殿
新田義貞公銅像台座 以前の銅像は神社境内にあったが、何者かに銅像を盗まれてしまい台座のみ残っている。
新田義貞挙兵600年記念碑。大木がある。
世良田東照宮(国宝) 修復中 覆いがあって外観は見られず残念。
後ろの本殿の彫刻 東照宮の本殿
徳川家康公 「着初めの鎧」
東照宮お宮番 東照宮お宮番として仕事を分担したが、他の助郷の義務はなく村人は大層な優遇措置を受けた。
所沢には大舘、平塚など新田義貞と由来のある人たちが住んでいると風聞したことがあるが、この地区の出身者なのだろうか。これもロマン。
利根川を渡ると埼玉県。中宿遺跡








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