投稿

11月, 2024の投稿を表示しています

所沢航空発祥記念館

イメージ
所沢航空発祥記念館 久しぶりに記念館に行ってみた。展示は以前より整然として展示の飛行機も見やすかった。また、所沢駅近くに第一次世界大戦のときの戦利品のドイツの飛行機などが展示してあった航空参考館の模型があったのが目新しかった。(2000年ころまで西武の車両基地として、建物は利用されていたという)跡地には大型商業施設がたってしまった。 飛行機が発明されてからの発達の様子 展示飛行機 楽しそうに飛んでるね 館内 窓から見える風景 航空公園内の飛行機 右所沢の市街地(航空公園は黄葉が始まっている) 東洋一の航空博物館 練習機による編隊飛行も行われていた。 左のはがき トコロザワと編隊飛行 たくさんの飛行機を連ねて難しっかただろうね。

太平記の里 新田の荘

イメージ
 太平記の里 新田の荘 足利の荘から新田の荘へ、移動すること約30分。ここは何か埃っぽい。渡良瀬川と利根川に挟まれた隣町(群馬県)だが新田義貞が挙兵した神社の土が乾いたざらざらした異質な感じを受ける。足利の土地が雅で洗練されている感じにいたく感動したためかもしれない。 生品神社-世良田東照宮ー中宿遺跡(埼玉県・奈良時代遺跡)を巡る。 生品神社 新田義貞公が鎌倉(北条氏)を討伐するために1333年旗揚げした神社。 世良田東照宮の由来  寛永21年(1644)、3代将軍徳川家光公は、世良田が徳川氏の先祖の地ということから、日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築し、家康公をお祀りしました。以後、幕府の手厚い保護を受け、徳川家代々礼敬を尽くされました。 中宿遺跡 奈良時代・郡衙が置かれた土地らしい。すれば東山道武蔵路はここに達していたのだろう。郡衙の倉庫群は租庸調で集めたお米や品物を入れる倉庫であったのだ。都人や早馬で都につながりのある人たちが行き来をしていたものと思われる。ロマンだ。 新田義貞公銅像(再建されたもの)・生品神社 生品神社本殿 新田義貞公銅像台座 以前の銅像は神社境内にあったが、何者かに銅像を盗まれてしまい台座のみ残っている。 新田義貞挙兵600年記念碑。大木がある。 世良田東照宮(国宝) 修復中 覆いがあって外観は見られず残念。 後ろの本殿の彫刻 東照宮の本殿 徳川家康公 「着初めの鎧」 東照宮お宮番 東照宮お宮番として仕事を分担したが、他の助郷の義務はなく村人は大層な優遇措置を受けた。 所沢には大舘、平塚など新田義貞と由来のある人たちが住んでいると風聞したことがあるが、この地区の出身者なのだろうか。これもロマン。 利根川を渡ると埼玉県。中宿遺跡

太平記の里 足利の荘

イメージ
 太平記の里 足利の荘を歩く 太平記の里ー足利学校ー足利氏宅跡(鑁阿寺)ー生品神社ー世良田東照宮ー中宿遺跡と茨城県・群馬県・埼玉県境界界隈を巡った。 足利の里はよく整備され日本遺産に指定され、更に世界遺産に指定されるように設備や環境を整えている所。足利学校や鑁阿寺の庭園はよく整備され、趣も深く感じられた。 群馬県側の新田の荘の生品神社や世良田東照宮は比べるともう少しの感がある。 足利氏が権力を取ったことによる雅さなのだろう。新田氏は新田義貞が敗れたための悲哀感か。 足利学校 かなふり松質問箱 足利学校は自学自習、論語,孟子,荘子などの漢籍を自ら学ぶため、読めない文字やわからない言葉などを質問箱に書いて入れると、解かる人が回答を寄せてくれた。松の手入れの美しいこと感動。 杏壇門 孔子の家の門の傍に杏の木が植えられていた。それにちなんで足利学校の門近くに 杏の木が植えられた。 杏の木は病に利く生薬になる。 本堂 奥に孔子象が祭られている 下の写真の像。 足利学校 ここで学生が学んだ。足利時代から江戸時代には学生数3000人以上もおり、世界有数の大学であった。 南庭園 築山の有る心落ち着く庭園 宥座之器(ゆうざのき)中の水が少ないと傾き、多すぎると器がかえって中の水が落ちてしまう。ほどほどの量がちょうどよい。 孔子、孟子、老子、などの学問を学んだ。 フランシスコザビエル書簡に足利学校は日本で最も有名で、最も大きい大学であるとヨーロッパに紹介している。 湯島聖堂楷樹(湯島聖堂から移し植えられた樹)孔子の家の門の傍に植えられていた謂れがある。 ここから足利氏宅跡(鑁阿寺) 金剛山鑁阿寺 鑁阿寺本堂 中央の瓦は改修したとき古い瓦を残したもの。 多宝塔 足利氏邸宅跡はぐるっと堀がめぐらされている。