羽村の取水堰散策(羽村市郷土博物館)
羽村の取水堰散策(羽村市郷土博物館) 羽村の取水堰は、多摩川の河口から上流54kmに位置し、川をせき止める投渡堰(なぎはらいせき)、固定堰、魚類が行き来する魚道及びせき止めた水を取り入れる第一水門から構成されている。羽村の取水堰は玉川上水と同時に建設され、承応2(1652)年に完成した。玉川上水は、江戸の人口が増えたため幕府が多摩川の水を江戸に引く計画を立て、当初は国立の青柳付近、次いで福生の熊川付近に取水口を設けたが失敗し、現在の羽村地点となった。 JR青梅線羽村駅から徒歩10分で羽村市郷土博物館 多摩川の堤防の上にはセンダングサが這い対岸には羽村の取水堰が見える。見晴らしがよく歩いて気持ちが良い道である。 羽村市郷土博物館 三ケ島の鈴木家の赤門 江戸時代後期の農家 三ケ島の小野家住宅と間取りがよく似ていた。保存状態は羽村の方が良い、時代的には三ケ島の小野家住宅の方が古いように感じた。 小野家住宅にも同じ場所に風呂場があった。 囲炉裏に火を入れて、建物をいぶしていた。 裏口 郷土博物館内の玉川上水の説明 玉川上水に使われている取水吐きだし口(取水した余分の水を吐き出す口) 向かいの丘陵は草花丘陵 狭山丘陵、加治丘陵に連なる丘陵。古多摩川に削られ離れ離れとなったが元は関東ローム層に覆われた一体の丘陵だった。 玉川上水を指導した玉川兄弟 羽村の堰 中央部の水色の部分に上の写真の「牛枠」が設置されている。ここで多摩川の水をせき止め、右の水門から取り入れている。右から水を吐きだしているのは、多く取り入れたための吐きだし口。左少し低いところが魚道。 狭山湖や多摩湖にもここから水が送られているのだ。 玉川上水の流れ 玉川上水として取り入れられた水 奥の門(第一水門)から取水された水、余分な水は手前の穴の開いている口から、元の多摩川に戻される。 第三水門 右奥 管理事務所 浄水場から羽村の駅を越した先に「まいまいず井戸」 「まいまいず井戸」は広大な広さと深さだ。中央の屋根が井戸の屋根。曼殊沙華がたくさん咲いていた。