新河岸川舟運跡の散策

新河岸川舟運跡の散策1

新河岸川の舟運について学びながら(ふじみ野市)東武東上線上福岡駅 から福岡河岸へ徒歩で移動。ここはかつての三ケ島街道という。三ケ島・所沢方面から江戸へ農作物を積み込んで運んだ河岸と思われる。主に「さつまいも・薪・炭」だったろうか。「米・麦」などの穀類か、想像が働く。暫し想像力を働かせて、では帰りの船はどうしたのだろう。江戸から「肥料・塩・魚・油・ぬか・瀬戸物…」を運んできたはずだが、どうやって船を上流にあげたのだろう。「川下り」の舟はトラックで上流に運んでいたが、江戸時代はさて?

思い出すのは川越は、地形が緩やかであること。だいたいが沖積面であり、水田地帯であるということだ。新河岸川の水運はそのようななだらかな性質を利用したものと思われるが、それでも高低差はある。風を利用するにしても、上流に向かって風が吹くなどといううまい状況はそうそうあるまい。ではどうしたか。「曳船」と人は言うが、いったいどうしたら船が曳けるのか、簡単な事ではなかったろう。疑問だらけだ。

名所江戸百景「四つ22」広重絵に船に綱を付けて引っ張る様子が描かれていたが、このようにして帰りの船は、引っ張て来たのだろうか。大変な労力が必要である。それこそ童謡に「行きはよいよい帰りは恐い、怖いながらも通りゃんせ、通りゃんせ」と川越の新河岸川に近い三芳野神社に伝わる童謡があるが「七五三参りの帰り道は恐い」、なぜ怖いのか、謎だらけの歌であるが、この曳船を想像してしまった。短絡である。

舟につないだ綱を肩にかけて、岸を歩きながら引っ張ってあげたらしい。船は長さ13~15m、幅4m、帆柱の高さ10mほどあり、荷物は250~300俵ほど載せることができた。


川越から江戸まで船で何日ぐらいかかったのであろうか。福岡河岸記念館の資料によると、 
「飛切舟」=生の魚や茶などを運ぶ 2日 「急舟」=急ぎの荷物を運ぶ 3~4日 「早  船」=人を乗せる。または軽い荷物 4~5日 「並舟」=荷物を運ぶ 7~10日   


  

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