2022.1 多聞院 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 04, 2022 多聞院今年は五黄の寅年ということで、初詣は「多聞院」にお邪魔した。多聞院は5月の寅祭りが有名ということを思い出したからである。正月の運動不足解消と散歩を兼ねて、のんびりと歩いた。春を告げてよい香りを漂わせている蝋梅の花三富新田開発の中心 柳沢吉保により建立された。多聞院 本堂迫力満点の狛寅奉納されたたくさんの狛寅 多聞院わき神明社境内の甘藷神社 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
さくらタウンに行てきた! 11月 28, 2020 2020.11.28 さくらタウンに行ってきた。(1) 航空公園駅で友達と待ち合わせていると展示されているYS-11機を清掃をする人が目に付いた。ANAの文字の繋ぎを着ている人もいたので、ANAの人たちかもしれない、普段は目にしないが定期的に掃除に来てくれているのだろうと、感謝の気持ちで見守った。 やがて友達と合流、バスに乗って東所沢駅に到着。まず目についたのは、改装された駅舎とカラフルなマンホール。それを追って、「さくらタウン」に向かう。 YS-11機の上で作業する人 待ち合わせの場所にはYS-11機のマンホールがあった 東所沢駅 「さくらタウン」とコラボした本棚風駅舎 トコロンとライオンズのマークの従来のマンホールの蓋 東所沢駅から「さくらタウン」までに設置されたマンホールの蓋 続きを読む
三ヶ島葭子 資料編 5月 18, 2018 三ヶ島葭子資料 (その11) 家族構成 父三ヶ島貫太郎は、三ヶ島尋常小学校長ほか埼玉・東京の小学校長を歴任、このため一家は転居を多数行っている。 葭子の実母さわは三十歳で逝去。同母弟1人。継母のぶは小手指村の小暮家より嫁し、異母弟2人、異母妹2人。異母弟に俳優の左卜全がいる。 葭子年表 満年齢 明治19年(1886)0歳 入間郡三ヶ島村に生まれる。 明治25年(1892)6歳 小手指尋常小学校に入学 明治35年(1902)16歳 埼玉県女子師範学校に入学、寄宿舎生活 明治37年(1904)18歳 結核のため3年で休学、翌年退学。病気静養に尽くす。 明治41年(1908)22歳 西多摩郡小宮村で小宮尋常小学校の代用教員となる。 大正3年(1914) 28歳 小宮尋常小学校退職。 倉方寛一と結婚 長女みなみ出産。 大正5年(1916) 30歳 葭子病気再発。長女みなみを所沢の夫の両親へ預ける。 大正13年(1924) 38歳 脳出血を起こし半身不随。その後回復。 昭和2年(1927) 40歳 3月26日自宅で死去。(40歳7ヶ月) 墓地は所沢市元町の実蔵院 「少女号」表紙 大正12年10月号 大正12年3月号 「少女号」大正15年4月号掲載作品と挿絵 続きを読む
邪気を払う「菊枕」を作る 12月 13, 2018 2018.12.13 「菊枕」を作るーー菊の成長の記録 1ヶ月ばかり菊の花を楽しんだ厚物菊が、12月に入って枯れてきましたので、邪気を払い長寿の枕と言い伝えられている、「菊枕」を作ってみようと思い立ちました。 菊を片付ける際に菊の花を「菊の枕」用に残し、散らばらせて3日ほど天日干しにし、あり合わせの袋に詰めて枕の上にのせて試してみました。菊の香りに包まれたこと、至福の香りに包まれたこというまでもありません。 菊枕を作る 2018年の菊の成長の記録 5.14・3号鉢から5号鉢に植え替え 7.1・菊苗を3本に仕立てる 8.31・ここまで成長 10.16・蕾も大きくなりました。 10.28・みごとに開花 続きを読む
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