三ヶ島葭子 資料編

三ヶ島葭子資料

    (その11)
家族構成
 父三ヶ島貫太郎は、三ヶ島尋常小学校長ほか埼玉・東京の小学校長を歴任、このため一家は転居を多数行っている。
 葭子の実母さわは三十歳で逝去。同母弟1人。継母のぶは小手指村の小暮家より嫁し、異母弟2人、異母妹2人。異母弟に俳優の左卜全がいる。

葭子年表             満年齢
明治19年(1886)0歳 入間郡三ヶ島村に生まれる。
明治25年(1892)6歳 小手指尋常小学校に入学
明治35年(1902)16歳 埼玉県女子師範学校に入学、寄宿舎生活
明治37年(1904)18歳 結核のため3年で休学、翌年退学。病気静養に尽くす。
明治41年(1908)22歳 西多摩郡小宮村で小宮尋常小学校の代用教員となる。
大正3年(1914)  28歳 小宮尋常小学校退職。 倉方寛一と結婚 長女みなみ出産。
大正5年(1916)  30歳 葭子病気再発。長女みなみを所沢の夫の両親へ預ける。
大正13年(1924)  38歳 脳出血を起こし半身不随。その後回復。
昭和2年(1927)  40歳 3月26日自宅で死去。(40歳7ヶ月)
                                      墓地は所沢市元町の実蔵院

 「少女号」表紙   大正12年10月号    大正12年3月号
「少女号」大正15年4月号掲載作品と挿絵



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