常識という危うさ

 2021.8.25

常識という危うさ

『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』ブレディみかこ著 新潮社刊

を読んで、自らの常識というものの姿を問い直さなければならないと感じた。著者はイギリスに在住、日本とイギリスとの文化の違いや人種差別(イエローでホワイト)を描いているのだが、その時々の対処の仕方が描かれていて、放任され人との付き合い方も分からず、今ももたもたしている私にはよい刺激を与えてくれた。子供のころに知っておきたかったと思う。

 さて、特に共感し常識を正さねばならないと思った箇所を紹介したい。本文P168~169の文章を引用

 むかし女性は結婚によって夫と同一化されることを余儀なくされた。つまり女性は婚姻によって消えたのである。19世紀後半まで、米国では婚姻すれば法的にあらゆるものは夫に取られた。妻が持っていた財産も稼ぎもすべて夫のものになった。妻に対する暴力を取り締まる法もなかった。主人に持ち物を没収され暴力を振るわれても犯罪にならない。これ、何かといえば、奴隷と同じである。女性の人生は夫になる人物の親切さにかかっていたのだ。

 長い時間をかけた法制度が改正され、少しずつ女性が消えずにすむように社会は変わってきたが、いまでも女性は家父長制と闘っている。

 近年「結婚の平等」という言葉が米国や欧州ではさかんに使われるようになっているが、男女の不平等性を抱えたままの異性婚とは違う、家父長制からまったく自由な関係性(同じジェンダー同士の結婚は本来的に平等だ)が同性婚にはある。だからこそそれが伝統的な婚姻にとって脅威になるのは当たり前であり、この脅威はむしろ言祝ぐ(ことほぐ)べきだとレバッカ・ソルニットは書く。

 しかし、婚姻の平等を嫌う人々もいる。伝統的な婚姻の形は、それが人間性や社会にとって最も良いシステムだったから今日まで続いてきたのだと彼らは信じている。その拠り所になるのは婚姻の意義は子どもを生んで育てることだという考え方である。

 だが、結婚しても子どもを持たない人々や、子どもを作って離婚する人、結婚しないで子どもを作る人もいるし、そもそも精子と卵子が結合してリプロダクションを行うという生殖のプロセツにしても、代理母を使う人や、IVF(体外受精)を行う人など、現在はいろいろな選択肢があるのだ。それらがむかし存在しなかったのは伝統だからというより技術が存在しなかったからだ。―

以上で引用は終了。ここで共感した個所と常識を覆された箇所。

①婚姻により女性が消える。衝撃的な表現であるが、現在の日本でも、だれだれの奥さん~、だれちゃんのお母さんになってしまうのである。

②主人の持ち物になる。奴隷と同じである。「主人は~ 」というような表現を聞くと、鳥肌が立つ。家族優先で自分の時間を持たない奴隷と同じだな、と感じたことは度々である。共感。

③同性婚は本来平等。(目から鱗が落ちたような気がした)異性婚は不平等性を抱えたままであるということ。対等な関係を求めて自由な関係性を求めるのが同性婚。

④子どもを持つか持たないか、子どもを作る方法も選択肢が増えたと考える方が合理的。

 常識と思っていたことがいかにも狭く捉われた考え方であったと思う。子育て中の問題に対して丁寧に説明してくれるのでわかりやすい、子育て指南書とも思う。


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