航空記念公園の戦争遺跡

 2021.2.23

航空記念公園の戦争遺跡

所沢観光コンシェルジュに案内してもらったという人に航空記念公園の中の戦争遺跡を案内してもらったので、珍しいので報告する。公園になる時にすっかり整地され、整備されたのだろうと思っていたのだが、広い敷地内にはまだ戦争の遺跡がかすかに残っていた。

戦後も75年、航空記念公園ができて(昭和53年3月に開園)40数年経過しているのに戦争遺跡が残っていたというのは驚きである。普段何気なく散歩や花や緑に憩いを感じている公園である。

ハクモクレンの蕾が銀ねずに輝いていた。

縁石に ←CLUB PARKING LOTの文字が、米軍が駐留していた時の名残、駐車場であったらしい。この辺り(草むらの中)にダンスホールのような建物があったのだとか。

駐車場から上の茂みに上がる階段が数か所残る。
階段を上った繁みの奥にコンクリートの端が根に食い込んだような木に出会った。このコンクリートはかつてここに池が作られていた構造物の遺物らしい。
以前に「荒鷲たちの憩いの庭園」という看板があったそうだが、今はない。
荒鷲とは少年飛行兵(特攻隊)の愛称だと思うので、所沢陸軍飛行場には少年整備兵・通信兵が教育されていたが、飛行兵はいなかったのではないかと思うのだが、今度航空発祥記念館を訪ねた折にでも聞いてみようと思う。
意外に起伏がある。飛行場だったときは平らにならしてあったのではないかというイメージ
を抱いていた。
航空犠牲者の像 ペンキで書かれた駐車場から見下ろす。
          
階段の手すりも米軍駐留当時に塗られたものだろうか。(黄色)
縁石にも黄色いペンキが塗ってある。

所沢飛行場の史跡 この辺りは米軍の基地時代の史跡として意図的に残されていいたということを初めて知った。

航空整備兵の像 翼を抱き、空を見上げる少年飛行兵、整備士、通信士」 
航空整備兵の像裏面に 昭和18年長沼孝三作と書かれている。


航空整備兵の像裏面


航空整備兵の前 道の下には階段が。以前航空整備兵の後ろに「建空神社」があってその参道だったところという。
航空整備兵の後ろには「建空神社」があったという。建空神社は陸軍士官学校の神社として昭和12年9月に所沢飛行学校内に創建された。

2本の壊れた柱が残る。これは建空神社の鳥居の壊れたものというが本当か?

建空神社があったという鳥居の後ろを見ると、石の構造物が幾つかあったが、礎石かどうかわからない。
石の食い込んだ根。
航空整備兵の塔 台座を含む

航空整備兵の像 昭和18年彫刻家故長沼孝三氏が「翼を抱き、空を見上げる少年飛行兵3人の姿は操縦・通信・整備の協力によって飛行機が飛行すること」を彫刻した。昭和19年5月に建空神社参道の地に建立したものという。

建空神社は陸軍航空士官学校の神社として昭和12年9月に所沢陸軍飛行学校内に創建された。戦後は「北野天神社」に移されたとあるが、現在は北野天神社境内に建空神社跡の石碑のみが残されている。ここにはわずかに鳥居の跡が残っている。

北野天神社の建空神社碑
北野天神社の建空神社碑の裏面には
昭和拾八年五月貮拾参日建之
陸軍航空整備学校長 加藤尹義謹書 の文字
北野天神社の紅梅・白梅

所沢にはもう一つ航空に関する神社があると思って寄ってみた。これは直接的には航空公園の「建空神社」とはかかわりがないようだ。
所沢神明社境内の「鳥舟神社」



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