蒔田さくら子作品を読む(3)


2020.7.20

蒔田さくら子作品を読む(3)

 月について
すずめの項③の歌「交々に訪ひくるすずめは十羽まり昏れて月待つベランダとなる」(2019.1)から、作者の気持ちを考えると昼にはこの「すずめ」たちが、夜には「月」が慰めてくれるのだろうと考え、「月」の歌を次に拾ってみることにした。抽出した歌は⑧~⑫の五首、連作のように読んだ。

⑧月にさへ満ち欠けありとあふぎつつ生の起伏をつなぎ来しかな(2019.4
⑨カーテンをふとあけし時のぞくごと月あり言葉にあらぬなぐさめ(2019.10
⑩「月がきれい」とつぶやきをりぬ気負はざる素直なこころを我とよろこぶ
⑪真二つの半月むしろ過不足なきすがた(あざ)らけし長月六日(2019.12
⑫フルムーンとや完璧のうつくしさおそるる心は半月に寄る

 ⑧の歌から 月でさへも満ち欠けがあると、月を仰ぎ見ながら人生の時々の起伏に心を慰め歳月をつむいできた。「月にさへ」の「さへ」は程度の軽いものを上げより重いものはなおさらだと類推させる副助詞。「月の満ち欠け」よりも重い「生の起伏」を導く用法。【月の満ち欠け《生の起伏】
我が身に照らして多難な人生を乗り超えてきたというしみじみとした感慨を詠む。理知的な歌
 ⑨カーテンをふと開けると「月」がこうこうと照っていて、月が一人ぼっちの私を心配してのぞいていたように見えた。そこに言葉ではない慰めを感じた。絶対的なものに見守られているという安心感、崇高な感じが漂う歌。
 ⑩「月がきれい」と一人つぶやく私に気づいて、月をめでる素直な心の持ち主の私がいたということを発見して喜んだ。自己認識、理知的な歌。
 ⑪満月を真っ二つに割ったような十一月六日の月、半月はむしろ過不足のない美しい月に見える。欠けたところのない満月よりも、半月が一人身となってしまった私にふさわしく美しい月に思えた。理知的な歌。
 ⑫今夜は満月。欠けたところのない完璧な美しい満月。満月があまりにも美しく、欠けていくことを恐れる心は(⑪で見た)半月がむしろ良かったと思う。(フルムーン=満月・熟年夫婦JRの造語も想起)
 ③ベランダで月の出を待つ作者。⑧月は様々な形で昇り「生(死)の起伏」を暗示してくれる。⑨⑩に見える月は満月に近い月だろうか、月の満ち欠けが心の陰に寄り添う。⑪は半月。一人身の自分を顧みるとき、半月がちょうどよいと思う作者である。(もう一方の半月は亡き夫君を想定しているようだ。)
 ⑫作者の歌集『標のゆりの樹』(砂子屋書房)2014.7刊に、⑫と比肩すべき歌があったので紹介をする。

望の月あくまで円く耿々と照る完璧に呑まれてをりぬ
望の月の完璧な美しさにうっとりとし、呑まれてしまったように我を忘れて見入ってしまった。月の完璧さに魅了されている作者。これらを基に(月の形状)とそれを見た(気持ち・心とで図式化してみると、
(月の形状)  (気持ち)  (心)
 望の月     完璧    呑まれる
⑫フルムーン   完璧    美しさ・おそるる心
⑪半月(六日月) 過不足ない 鮮らけし(半月に寄る)
⑨⑩「月がきれい」 (完全)  なぐさめ
⑧満ち欠けある月 (不完全)  生の起伏をつなぐ(歳月)
③(月無し)    (不足) (月の出を待つ)

完璧な美しい満月よりも、半月に心惹かれる作者。満ち欠けする不完全な月を人生・生の起伏ともみなし、月の満ち欠けに亡き人との心のつながりを意識し、歳月をつなぎ受け止めてきた。月と歳月が一体となり作者を支える。

 終わりに
 題詠の作品においては人生の不条理に目を向け力強く問題提起する。一方、日常詠では「すずめ」・「月」を愛ずる一年間の心を追い、連作のように読ませていただいた。日常のつらい出来事を「生の起伏」としてとらえ、悲しみに沈みがちな心を、次第に受け止められるようになっていく繊細な過程が、象徴的に的確に声調豊かに表現されていた。


参考文献
短歌人2019.1.12
歌集『標のゆりの樹』砂子屋書房2014.7.
岡井隆短歌塾 鑑賞編5 金剛の巻
広辞苑 4版

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