離別を詠う歌-中城ふみ子(2)

2018.10.2

離別を詠う歌ー中城ふみ子(2)
 ② 乳房喪失とこの世との離別
一九五二年秋~五四年癌に侵され生きては帰れぬという覚悟の歌で構成されているのが、『乳房喪失』の「冬の海」と題された作品群である。その作品から覚悟の歌を拾う。

◎黒きショール畳みて砂浜にわれは坐る海よその話の続き聞かせよ『乳房喪失』
 「光を湛えている海。その砂浜に黒いショールを畳んで坐り、じいと一点を見続けているふみ子。見渡す限りの海と空。時を刻むように打ち寄せては引いてゆく波。()この作品を詠んだ時期は小樽の妹の所から、札幌医大病院に放射線の治療に通っていた時である。癌に侵された左の乳房を切除、右も切除、それでも食い入るように進行を続ける癌。()一瞬の慰めを海に求めたのだろう。そしてふみ子の人生劇がどのような展開を見せるのか、「海よその話の続き聞かせよ」という結句に繋がっていく。感情を抑え込んだ表現というより、心の奥底で自分の命と対峙している姿が浮かんでくる。」(山川純子) 『海よ聞かせて』より引用。
 「その話の続き聞かせよ」とは、何の話の続きなのだろうか。具体的に知りたいと思った。癌に侵された自分はどうなるのだろうか。あとの人生は、死は、不安だらけであろう。早くその結末を知りたい、海は生き物のふるさとだ。その海よ、人生の末期を教えてくれ、偉大な絶対的な存在である海に向かって、理不尽を訴えたいのだ。これからの人生に目を背けることなく、話の続きを聞くためにきっちりと生きていこうとする強さが感じられる作品である。これに対する答えが次の歌である。

◎冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己の無惨を見むか『乳房喪失』
「乳癌にかかって確実に死ぬということが分かったとき、彼女は何と言ったか。もう少し生きて自分の無惨を見届けようか、とつぶやいているのです。強い風が吹いて皺の寄った海は、彼女の内面の象徴です。この強さがあったから彼女はまさしくその無惨の中から、美しい生への夢を歌い上げることができました。」(菱川善夫) 『岡井隆の短歌塾鑑賞編2』より引用。
「その話の続き」とは「今少し生きて無惨を見むか」ということになる。癌に侵された身が、どのように朽ちてゆくのか、死んでゆくのか、しっかりと己が目で見守りたいということ。特異な人生に陥った運命を何でも見てやろうという興味津々な若さの露出である、壮絶な表現である。その無惨の非情さを見てゆくことになる歌を挙げよう。

◎愚かしき乳房など持たず眠りをり雪は薄荷の匂いを立てて『乳房喪失』
◎失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
◎病棟の寝鎮るころしくしくと疼けば癌も身のもの
◎鬱憤を抑へかぬるごとまた一つ出でたる癌を胸にいたはる
一首目。癌に侵された乳房を愚かだと言い、愚かなものを排除した安堵感のうちに眠っている。「雪は薄荷の匂いを立てて」は爽やかな雪を薄荷の匂いとたとえ生きている実感を表現した。強がりを言い、一瞬の安らぎの時でもあった。
二首目。失った乳房に似た丘。ふみ子は乳房を切除してからずっと病室の窓からつれづれにこの丘を眺めていたのだろう。冬には雪景色で白いベールに包まれたような美しい丘が出現、切り取った自分の乳房と重ね合わせてみていたのだ。そして枯れ残った数本の草木を供花と見た乳房を惜しむ歌である。「愚かしき乳房」と詠いながらも、切り取られた乳房を惜しく思い癌に侵された身を悔しく思っているのだ。
三首目、四首目。夜人々が寝静まるころ、しくしくと痛む。この当時苦痛、激痛を和らげる方法はどの程度であったか。人生に誰かの恨みをかい、鬱憤を晴らされるかのように、次々癌の転移に襲われる。理不尽を感じるときである。ふみ子はそれでも「癌も身のもの」、「癌を胸にいたはる」と、生きているからこそ痛みに襲われるのだと受け入れる。強靭な精神の強さを持って痛みに耐え、運命の苛酷さに堪える。どこまでも前向きに癌と対峙する。そこに余裕すら感じられる姿勢が浮かんでくる。

『花の原型』の「あとがき」にこの時期の中城の心情と思われる部分があるので、その部分を抜粋する。
「不治といはれる癌の恐怖に対決したとき、始めて不幸の確信から生の真相に手が届いたと思ふ。陰鬱な癌病棟に自分の日常を見出した時、どうして歌声とならずに置かうか。私の求める新しい抒情はこの凍土の性格に培われるより外ない。」と。癌になって見えてきた人生の真相をあくまで追求しようと迫ったのである。
中井英夫が「三十一歳の若さで死を約束された中城ふみ子にとってその日常がどれほど変化(へんげ)にみちた奇怪な世界に成り代わったかは容易に推測できることで、生といい現実というものの裏側へ廻ってその気味悪い凹面を眺めたとき、ついに堪えかねて唇を洩れた悲鳴の鋭さが今も読者の耳朶を打つのである。と中城の歌の強さの真相をあげているのが興味深い

◎灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽の如くに人は()らしつ『花の原型』
『「遺詠」の一首です。「灯を消して」は単に消灯だけではなく、生命の灯を消して来るものを感じさせます。〈死〉の訪れを歌ってもどこか甘美です。「しのびやかに」恋人が訪れるように、死は彼女の隣にやってきているのです。それを快楽のように手なずけたと彼女は誇っているのです。すさまじい勇気と言ってよいでしょう。この歌を残して、八月三日、中城は札幌医大で息を引き取りました(菱川善夫) 『岡井隆の短歌塾鑑賞編2』より
中井の言う生の裏側、ほとんど死の際を見つめ、死は怖いものではなく、友達のようにこの世にしのびやかに隣接するものと見極める。人生に決別するというより表裏のうちにあり、待ち望むように落ち着いた境地で死を迎え入れたことがわかる。

終わりに
◎公園の黒き樹に子らが鈴なりに乗りておうおうと吠えゐる夕べ『乳房喪失』
「この作品はふみ子が思い描いていた葬送のスタイルと捉えていいと考える。()疑念をもたぬ純真な子供たちや生きるのみにある小さな生き物など、ふみ子の歌に詠まれたすべてのものたちを公園の樹に立ち上げた。即ち、この歌集のフィナーレであり、ふみ子自身の永別のシーンなのである。」 (山川純子) 『海よ聞かせて』より
形式的な葬式に意味を見いだせず、実質的に子供たちや、自然の風物に別れを告げるといったことに意味を見出していたふみ子の歌は、まるで釈迦の涅槃図を思わせて日常的な風景として、この世との別離を描いて見せた。

◎遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受け取れ『花の原型』
 参考文献
『海よ聞かせて』 中城ふみ子の母性愛  山川純子  本阿弥書店
『美しき独断』 中城ふみ子全歌集  北海道新聞社
『岡井隆の短歌塾』鑑賞編2 火城の巻 六法出版社
『中井英夫全集⒑』黒衣の短歌史 創元ライブラリ
「短歌研究」2014.8

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