離別を詠う歌・中城ふみ子(1)
2018.10.1
(生涯に二人得がたき君-大森卓との離別)
はじめに
中城ふみ子は『乳房喪失』のあとがきで「生きてゐる中に自分の像を建てる様な用心深さは愚かなことかもしれない。だが将来母を批判せずには置かぬであろう子供たちの目に偽りのない母の像を結ばせたい希ひが、ここ四年ほどの未熟な作品をまとめさせる要因になった。」と書く。自らの癌の進行に耐え、死が迫りつつあることを感じ、生きた証を残し、ありのままの母の像を残そうとした、言い換えるならば、人生を終わりにするために編んだ歌集ともいえる。
人生に自ら決別をした覚悟の歌集なのである。集中にはいくつかの恋愛と、子供たちを詠んだものなどモニュメントというべき個所があるが、ここでは①「生涯に二人得がたき君―大森卓との離別」②乳癌が全身に転移をしていく中で、人生に決別を覚悟した歌とを取り上げて離別と決別の覚悟のありようを考察することとしたい。
①
生涯に二人得がたき君―大森卓との離別
◎生涯に二人得がたき君ゆゑにわが恋心恐れ気もなし『花の原型』
中城ふみ子が「生涯に二人得がたき君」と詠んだ大森卓には、一九四九年五月、夫と子を残し、三男だけを連れて四国から戻っていたとき、友人に誘われて参加した「新墾帯広支社短歌会」で出会った。大森は既に胸を患って療養中の身、看護婦の妻と病院内に世帯を持っていた。(略)大森に対するふみ子の恋は、即時だった。ふみ子は自分に夫や子供がいること、大森に妻がいることなど、まるで関係ないかのように「わが恋心恐れ気もなし」と詠んだ。(略)しかし、ふみ子は大森との交際をたった。プライドが決断させたのだろう。(『海よ聞かせて』より概略引用)
君に出会い生涯に最高の人を見出したという自信に満ちた力強い表現である。夫や子供のいることなど全く顧慮していない、手放しの恋愛賛歌である。
◎熱き掌のとりことなりし日も杳く二人の距離に雪が降りゐる『乳房喪失』
大森とともに一九五一年一月の「山脈」の発刊に向けて奔走していたころが、ふみ子にとって何より充実していた日々だった。だが、それも過去のこと、しんしんと降り積もる雪が二人を隔ててゆく。ふみ子自ら決断した別れであった。ふみ子は決して大森と会おうとはしなかった。距離を置いていた期間の分だけ、感情を抑え冷静に見ることができるようになっていた。
その後大森は協会病院から、郊外の療養所へと転院していたが、容態の急変の知らせを受けて、ふみ子は見舞いに出かけた。
◎蛍火の只中にゐて見つめゐる怖れよ君は死ぬかもしれぬ『乳房喪失』
◎見えぬものに鬼火もやして蝋とくる淋しき音とも君の咳きく
一首目。ベッドに横たわっている大森の姿を見た瞬間「君は死ぬかもしれぬ」そう感じた。大森の命の火が蛍火のようにかすかである。そのわずかと思える命の火で、ふみ子を見つめていてくれる。大切な命を今失おうとしている。ああ、その運命の時を恐れる。しばらく会わないでいた間の衰弱を目の当たりにしての驚きと憐みの感情が湧出している。
二首目。自分は見えぬものに雑念を生じ鬼火を燃やしてきた。大森の妻や、大森の元恋人に競争心を抱いて、嫉妬すら覚えていた。そのために大森と会うことを絶ってきたのだが、見舞いに来て「淋しい君の咳」を聞くと蝋が溶けるように拘りの心が解けてきた。いたずらに避けてきたことを知り、ただならぬ君の病状に拘りを捨て今は見守らねばならない、淋しくやりきれず取り返しのつかない時であると悟る。そして、大森卓の死。
◎聖使徒に似かよふ面を一つのこし夕光の黄よいたはりふかき『乳房喪失』
◎いくたりの胸に顕ちゐし大森卓息引てたれの所有にもあらず
◎たれのものにもあらざる君が黒き喪のけふよりなほも奪ひ合ふべし
◎とりすがり哭くべき骸もち給ふ妻てふ位置がただに羨しき
「聖使徒に似かよふ面」もちで死んでいった大森卓。一九五一年九月二十七日の朝であった。夕影の暮れ残った光のさしている西の空を見上げていると、その黄金の神々しい光に包まれて亡き人にいたわられているように感じる。大森が聖なるものとなって大気中からふみ子を照らし、そばに付いていてくれることを確信する。穏やかな気分である。
二首目。何人にも愛されてきた大森卓。死んでしまった今、だれの夫とか、常識的な所有者という概念の外の人になった。妻や元恋人に気兼ねする必要もなくなった。「誰の所有にもあらず」鬼火を燃やしたり、嫉妬に苦しんだりする必要がなくなり、今は心に自由に存在させられる。
三首、四首目。「たれのものにもあらざる君」を、心の中に自由に存在させられると思ったのもつかの間、故人との関係性がまだ幅を利かせ死者の骸にとりすがって泣いている妻、不幸を見せびらかすように泣いている妻という存在が鬱陶しい。手放しで死者の思い出を心に存在させることができず、故人との関係性の上で君を奪い合っているように感じる。ふみ子は、心に熱い気持ちを抱いていても関係性では劣ってしまうのだ。
◎空に描き消してはつひに狂ほしきどのデッサンも君の死顔『乳房喪失』
◎亡き人はこの世の掟の外ならむ心許してわが甘えよる
一首目。忘れず心に棲んでいる大森の姿を空に思い描いてみるのだが、君が死んだという事実によりふみ子の想念は打ち砕かれてしまう。何度も何度も、思い描いても会えない人が狂おしく、聖使徒に似た君の死顔を思い描くのみである。君のいない世界に耐えられない、焦燥感、空虚感が狂おしく迫ってくる。
二首目。大森は死んで、死者はこの世の常識とか決まりだとか一切のものと無縁になった。ふみ子の心の中に他者に気兼ねなく大森は棲めるようになった。心に像を描き、語り掛け時に甘えてみる。死者は一人一人の心の中に生きているのだ。
大森卓との離別は、離別の悲しさに引き裂かれるというよりも、ふみ子の場合愛する人を心に住まわせ、心に寄り添い同化し甘え励まされる存在として君を獲得したというべきであろう。
②へ続く
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