河野裕子の植物の歌11(完)

続河野裕子歌集
河野裕子の植物の歌11

(裕子の植物への思い)
「幼かったときに見た花の色の鮮やかさほど、あんなに美しく見えるお花は、もうないんじゃないかな。」

ラ行
    らっきょp131
会ふたびにらつきよのやうになりてゆく小さなあたまの人なり母は



    林檎p78
年越しの林檎は苦い 水やせし冬川に半分囓りて放る




    連翹p73
連翹の黄ばかりとなる界隈の学生下宿また一人欠く




    れんげp45
家の裏にれんげの咲いてゐる気配、十月半ば月夜が続く



ワ行
    ゑのころ草p131
秋草となりてゆくなりゑのころ草の先まで西陽に透けて







    ゑんどうp47,106
雨上がりは遠目きくなり月の夜のゑんどう畑の花みな元気



○河野裕子の植物への思い

Vol.7シリーズ牧水賞の歌人たち「河野裕子」青磁社刊より抜粋
P26 伊藤一彦との対談<草花の記憶>

「幼かったときに見た花の色の鮮やかさほど、あんなに美しく見えるお花は、もうないんじゃないかな。」

河野 (略)草花の記憶というのに非常になんだかもう。ちょっと夏めいてくると、豌豆もね。豌豆の畑に連れて行ってもらうと、豌豆のお花って美しいのかなとか。何というのかなあ。栽培したお花よりも、ああいう、

伊藤 野の花ですね。それこそ野菜の花とか野の花ですね。道ばたにある花ね。

河野 あれがなんであんなに美しかったのだろう。それが不思議に年々歳々鮮やかに見え始めるんですね。あれは何だろう。みんなおっしゃいますけど、歳とともに昔の記憶が鮮やかになる。私の場合は、草花の記憶がすごく鮮やかですね。あの幼かったときに見た花の色鮮やかさほどあんなに美しく見えるお花はもうないんじゃないかな。いま同じように咲いていますけれども、あのときに初めて見た記憶の美しさというのは。きれいだったなあ。ほんとうに。うつくしかったなあ。
                                以上抜粋

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