所沢市出身の三ヶ島葭子の紹介1
所沢市出身の三ヶ島葭子の紹介
(その1)
三ヶ島葭子は明治19年生まれ。昭和2年に42歳にて脳出血で亡くなりました。
すばらしい短歌作品を残していますので、多くの人に知っていただきたく、少しずつ紹介いたします。
大正9年 葭子30歳の時の短歌
・親のかほけさやうやくに見いでたる瞳はいまだ水のごとしも
・鈴ふればその鈴の音を食はむとするにやあはれわが子口あく
『三ヶ島葭子歌集』より
葭子が長女みなみを出産後の作品2首
・「瞳」が澄んで「水のごとし」というところに汚れを知らない幼子の瞳を表現しており、それも今朝初めて見つめてくれたという喜びの感情が伝わる佳品です。
・「鈴」を振って幼いわが子をあやしていたところ、まるで「鈴の音を食はむ」とするかのように「口を開けた」とその表情を見逃さず、見立てたところが斬新であり、幼子のしぐさをよく表現しています。
(作品2首は「旧仮名遣い」のままです。)
(その1)
三ヶ島葭子は明治19年生まれ。昭和2年に42歳にて脳出血で亡くなりました。
すばらしい短歌作品を残していますので、多くの人に知っていただきたく、少しずつ紹介いたします。
大正9年 葭子30歳の時の短歌
・親のかほけさやうやくに見いでたる瞳はいまだ水のごとしも
・鈴ふればその鈴の音を食はむとするにやあはれわが子口あく
『三ヶ島葭子歌集』より
葭子が長女みなみを出産後の作品2首
・「瞳」が澄んで「水のごとし」というところに汚れを知らない幼子の瞳を表現しており、それも今朝初めて見つめてくれたという喜びの感情が伝わる佳品です。
・「鈴」を振って幼いわが子をあやしていたところ、まるで「鈴の音を食はむ」とするかのように「口を開けた」とその表情を見逃さず、見立てたところが斬新であり、幼子のしぐさをよく表現しています。
(作品2首は「旧仮名遣い」のままです。)
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