所沢出身の三ヶ島葭子9
(その9)
葭子と与謝野晶子
葭子は始め「女子文壇」や「スバル」に短歌・散文を発表した。その間与謝野晶子の門下となり、与謝野夫婦と知遇を得ていた。大正2年11月27日付 与謝野晶子から三ヶ島葭子宛の手紙の一部分ですが、与謝野晶子・寛夫婦が三ヶ島葭子を高く評価している様子が伺える手紙がありますので掲載します。
お手紙を唯今 拝見いたし候
良人も原稿にや などと申し候ひて
ともによみ申し候て 詩集のこと
仰せられ候にいとここちよげに
自分も序文をかかむと 申し候
良人は誰にもあなた様の
御作をほめて居り候。
先日も中央公論より 六人の 歌人に
正月は五十首づつ 歌をよませむとて
相談にまゐりしにも 良人は
あなた様を女にて 唯一人
すゐせんいたし居り 申し候ひき
(以下略)
「三ヶ島葭子書簡集」より
コメント
コメントを投稿