京都 蚕の社 嵐山

 京都 蚕の社(かいこのやしろ) 嵐山

今回の旅の目的の一つに、養蚕の始まりを探すことと決めていた。

養蚕は卑弥呼の時代「魏志倭人伝」にも養蚕をしていたことが描かれているという。また、数年前九州の世界遺産「宗像大社」を訪ねた折に、古墳時代大陸から4人の織姫が招請され、1人は宗像の地に請われて残り、残りの3人は大和朝廷の招請に応えるべく、上京して行ったという。宗像の地には織姫の居た場所などの遺跡が残っており、大和?に向かった3人の足跡も残っているに違いないと想像していた。その後の養蚕の流れが知りたいのだ。

「蚕の社」に向かうべく、京都市バス11系統を探し、乗車「蚕の社」バス停で降車。

「蚕の社」バス停先からの参道

参道を歩くこと5分 「蚕の社」到着
森に囲まれたうっそうとしたお社
「蚕の社」の本名は 「木嶋坐天照御魂神社」
由来は天宝元年(701)以前創建された神社。古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織りなどに優れた技術を持っていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る養蚕神社(こがい)(東本殿)があり、「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。
ここで、「古墳時代に朝鮮半島から渡来し」という言葉が先に紹介した事項と一致する。かの織姫3人とは限らないが、当時朝鮮半島から最新の技術を持った渡来人がたくさん来て、この地で日本の養蚕・染物の発展に貢献をしたこと間違いない。冠位十二階による色分けされた美しい朝服などが作られたことだろう。
(詳細を聞きたかった西陣会館が休館日であったこと誠に残念である)
拝殿
本殿

雨水の神(糺すの泉)

市バス11系統先 「嵐山」バス停より
渡月橋




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