『赤い風』梶よう子作
2020.12.10
『赤い風』梶よう子を読んだ。
江戸時代、武蔵野は秣場であった。江戸の人口が急増したために、食料の増産が課題となった。そこで扇状地状でやせた土地の秣場であった武蔵野を 開拓し、食料を確保しようということになった。
それもあの水の便の悪い広大な武蔵野を2年で開拓せよというのだった。三富新田開拓の物語である。
以下、開拓時の顛末を引用
(p120)
「わかるか、権太夫。私が上様の衆道の相手であろうとか、儒学を学ぶ上様に取り入り、その講義を幾度も受け歓心を得ておるとか、私への愚弄はいまだ止まぬ。上さまが設けた側用人というお役目もな」
保明は端正な顔に不敵な笑みを浮かべた。
「誰に言われるまでもない。成り上がり者であるのは己が一番よう知っておるわ。その成り上がり者に群がる醜い鯉どもがいるのも事実。私の足をすくおうと思うものがいるのもまた真実。のう、権太夫」
と、立ち上がって、再び背を向けた。
「だからこそ、此度の新田開発は失敗できぬのだ。私は川越には行けぬ。直に指図ができぬことがもどかしい。失敗をすれば、やはり成り上がり者の柳沢と誹られ、家臣も同じよと、お主たちも侮られよう。それだけはさせぬ、いや、させてはならぬ」
「 ― 殿」
「二年だ。二年で三富新田を完成に導け」
権太夫は、保明の言葉に耳を疑った。
(p123)
権太夫は巻物を座敷に広げた。
短冊状に真っ直ぐに伸びた敷地の手前の端には、家屋が立っていた。家屋の周りにも樹木が植えられている。もう一つの端には雑木林が描かれ、その間が畑地となっていた。
「上さまが宋代の書物から見付けられたのだ。それに変更を加えて、絵に描かせたものだ」
「上さまが、これを」
保明は、うむと頷いた。
「武蔵野の原野の争いについては上さまのお耳にも入っており、どうにかして、畑地にすることができぬか、とも考えだしたのがこれだ。その絵図は百姓一軒分の敷地だ。五町歩(約5ヘクタール)ある」
保明は江戸近郊の畑地の土壌についても調べさせていたと話した。
「江戸の地は、水源が豊富であるがゆえに畑地にはしやすいが、土壌は、おそらく武蔵野とさほど異なってはおらぬはず。もっとも苦労するのが水源であろうが、秣場の確保は、この短冊状の敷地であればできるであろう」
権太夫は身を震わせた。すでにここまで、保明が立野の開拓に力を注いでいようとは思いもよらなかった。……」
読後感 武蔵野の地質や人々の気質、方言などをよく調べて書いていると思った。柳沢吉保が開拓に熱心、上さま(5代綱吉)と共に勉強し、研究をしていたことにも驚く。このような循環型農業が誰の発案でおこなわれるようになったのか不思議に思っていたのだが、解明された思いだ。柳沢吉保と5代綱吉の人柄も好ましく、2年で開拓ができた実行力に新たな感慨を持つ。
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