「夏は来ぬ」の歌詞について
2019.9.8
「夏は来ぬ」の歌詞について
所沢の卯の花
『里山講義』晃洋書房(2015.3)を読んでいたところ、江南和幸の書いた「庶民で賑わう花の庭園」という項目に所沢の卯の花という江戸名所図会が紹介されていて(写真)、
「江戸の内だけが遊山の場所ではない。武蔵野の雑木林を開墾した農家の屋敷林を空っ風から守る生け垣の「卯の花」(ウツギ)は、江戸の庶民の格好の遊山の地となった。空にホトトギス、垣根ににおう卯の花、日本歌曲「夏は来ぬ」のもとになった。」
とあったので、「夏は来ぬ」はおぼろげながら好きな歌であったので、歌詞を調べて検証しようと思った。
夏は来ぬ (1896年に発表された日本の歌曲)
作詞 佐佐木信綱 (1872~1963)
作曲 小山作之助 (1864~1927)
1卯の花の 匂う垣根に
ホトトギス 早も来鳴きて
忍び音(しのびね)もらす 夏は来ぬ
2さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ
3橘(たちばな)の 薫る軒端の
窓近く 蛍飛び交い
おこたり諫(いさ)むる 夏は来ぬ
4楝(おうち)ちる 川辺の宿の
角(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕月涼しき 夏は来ぬ
5五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
1は卯の花の匂う垣根にホトトギスが鳴く風景は現在の所沢でも山林や丘陵近くでは耳にできる風景。(卯の花を垣根にするというよりむしろ隣との境の木として開墾した土地に植えたもの。)
2所沢は水に苦労した土地として有名であるが、丘陵地近くには湧水のある水田もあった。また狭山丘陵は同じ江戸名所図会に何枚も描かれ残されているので、山口観音、勝楽寺村など江戸の人たちが、ちょっと足を伸ばして行楽の楽しみを満足させた風景として捉えることが出来る。日本のどこにでもある里山風景を描いたとも考えられる。
3、4、5は橘も楝も一般的ではないが、秋になると柚子が農家の庭先を彩っているのを見かけるし、楝の木も「葉が強い除虫効果を持つためかつては農家において除虫に用いられた。又生薬として、整腸、鎮痛剤、ひび、あかぎれの外用薬」と有用な木とされ、農家に植えられていたものか。植生は伊豆半島以西の温暖な地に自生とされるが、立派な木をここでも見ることができる。 蛍は農薬が用いられる前はたくさん水辺に飛び交っていたと思われる。クイナも日本各地に生息していた。
日本の里山風景を5,7調のうたとしたと思われるが、卯の花が所沢風景として有名であったとすれば、やはり「夏は来ぬ」は地域に由来したものと思いたい。
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