「入間言葉」ということ


2018.12.12

入間郡誌をめくっていて「入間言葉」という頁に目が釘付けになった。以前「入間川」という狂言を見たことがあったが、その内容そのままに説明されていた。
しかし浅学にして入間地方に住んでいるにもかかわらず、全く聞いたことが無い話でしたので印象に残っていたために、以下にその頁を抜粋した。


入間郡誌p414〈四〉入間言葉

武蔵演路に曰く、「入間言葉と云ふことを、そうせよと云ふをさうすなと云ひ、左を右と云ふなども入間里の風俗とすと。謡曲にも「入間川」あり。入間言葉とは蓋し何事をも反対に言ひあらはすことにて、偶々謡曲にも作らるるに至れる也。之を入間様と云ふ。

此の月になこその関や入間様    宗因
夏の日を涼しと云ふや入間様    宗雅
名も知らぬ月は雲にや入間様    立圃

何れも反対に言ひあらはすことを入間様と用ゐたる也。然らば何故に反対のことを入間様と云ふか。是れ興味ある問題也。
喜田博士は(武蔵野及読史百話)其解釈を廻園雑記に求めたり。雑記に曰く、「是より入間川にまかりてよめる。

立ちよりてかけをうつさは入間川我年波もさかさまにゆけ

此河に付きて様々の説あり。水逆に流れ侍ると云ふ一義も侍り、又里人の家の門、裏にて侍るとなん。水の流るる方角案内なきことなれば、何方を上下と定め難し。家々の口の誠に表には侍らず。惣じて申し通はす言葉なども反対なる事共なり。異行なる風情にて侍り。」と。即ち地方の風の何となく趣を異にせるに加へて、入間川は武蔵國中の諸川と方向を異にして、入間川町附近にては殆ど正北に流れ、他の川が東し又は南するに似ざるものなり。此に於て入間様なるものは風流人士によりて凡て「反対」の雅語として用ゐられ、之を入間言葉とも称するに至りしならん。決して入間川町、入間郷の地方の古俗、言語を逆に用ゐしにあらず。若し誤て即断し、入間川の言語凡て逆に解すべしとなすものあらば是れ彼の謡曲入間川に出てたる大名の失敗を繰り返すものならずんばあらず。

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