与謝野晶子 寛60歳の誕辰の賀に詠める歌(その1)
一 初めに
与謝野晶子歌集 道浦母都子選の「梅花集」(抄)に「昭和八年二月二六日に与謝野寛先生満六〇回誕辰の賀莚に詠める」という作品に接して、晶子が寛と連れ添って三六年になるこの時点でどのような祝いの歌を詠んだのかと興味をそそられた。
道浦選の「梅花集」には二〇首が掲載されていたが、この項の末尾の歌に、
梅に寄せ昭和の八とせ春の日に合歓の巻きなりぬ百歌
という歌があり、ここには一〇〇首もともとはあったものと思われる。他の本に当たってみると、日本文学全集「与謝野晶子全集 第六巻」文泉堂書店刊には五八首が、また「定本 与謝野晶子全集 第五巻歌集5」講談社刊には六一首が収載されていたが、他の作品は不明である。
本稿は家族の歌ということであるので、晶子の歌五八首を対象に、晶子がどのような歌を詠み、寛の還暦を祝っているのかを探ってみたいと思う。
二 「梅花集」について
寛の還暦の祝いに贈られた歌集が「梅花集」であることの意味は寛が明治二八年から明治三八年頃まで「鉄幹」と号していたことと関わりがあるように思う。「鉄幹」とは梅の古木の幹のことで、梅の花が好きで「鉄幹」としたということだったように思う。「鉄幹」という号を用いなくなってからも一般に「鉄幹」と言えば与謝野寛を指すくらいに有名である。その寛は誕生日が二月二六日であり、ちょうど梅の花の季節でもある。梅の花の好きな寛に還暦の祝いの歌集名としてこれ以上に相応しいものはない。「梅花集」に収載されている五八首はすべて紅白の梅の花である。めでたい日に贈られためでたい歌集である。
三 内容による歌の分類
「梅花集」に収載されている歌を内容により大雑把に分類してみると ①寛が新しい短歌の道を構築 7首 ②寛の60歳の賀を祝う歌 6首 ③理想の場所 5首 ④寛は元気で昔と変わりない 5首 ⑤晶子特有の色彩豊かで、絵画的な歌 13首 ⑥古典故事を引用した歌 5首 ⑦その他 嘱目詠・梅の香りなど五感に訴える歌など。本稿ではこれらの分類に従って晶子作品を紹介する。
参考に寛の歌がもし「梅花集」に載っているとしたらどのような歌であろうかと興味を抱き、「与謝野寛短歌選集」平野万里編 砂子屋書房刊から昭和8年以降の作品の中から梅を詠んだ歌を探し、晶子の分類③④⑤⑥に対応する作品を列挙してみた。
四 晶子の歌 (各分類に従って五首作品を選出)
①
寛が新しい短歌の道を構築(第一人者)
1 難波津に咲く木の花の道ながら葎繁りき君が行くまで
2 うちつけに云はば詩人に梅似たり五公を凌ぐ花と聞けども
3 盛りをば人によそへでありがたし千株の中の第一の梅
4 明王の剣邪を破るとよたぐひしぬべしわが梅の花
5 山の梅泉の青を帯びて咲く野のしら梅は明星の色
1の歌、「難波津に」は和歌の手習い初めの歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」から本歌取り、従来の和歌の道は雑草が生い茂っていたが、寛が短歌の道を革新した。
2の歌、率直に言えば詩人(寛)は梅の花に似ている。五公(当代きっての5指に数えられる人々)を凌ぐ梅の花(人)と聞いています。
3の歌、今を盛りと咲いている花(寛)は人になぞらえることはできない。梅千株の中の当代第一の梅の花である。(寛は当代第一の詩人)
4の歌、賢明な君主が邪な剣を破るように我が梅の花(寛)は短歌の道を正しい道に導いた。革新した。
5の歌、山の梅は木下の泉の青を映して咲いている。だが、野にある梅の花はもっと明星が輝くように美しく咲いている。「明星」という雑誌を主宰していた寛を高く評価している。
1~5までの歌は言うまでもなく梅を寛になぞらえて薫り高い花(精神)を持って短歌の道を正した第一流の詩人(歌人)であると、寛の実績を誉め称えている。
《(その2)へ続く》
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