与謝野寛と富士山
与謝野寛の詠んだ富士山
与謝野寛短歌選集に富士山を詠んだ素晴らしい歌がたくさん収載されていたので注目した。中でも「嶽影湖光」1923(大正12年)には97首収載、その他の編にも散見されるが、1つにまとまった作品としての迫力、寛の気宇壮大にして力の入れ具合に圧倒された。感情移入され、色彩豊かで写実的でありながらロマン豊かな作品が魅力である。
富士は誰でもが憧れ、素晴らしい山容を持っている。雄大にして雄渾、富士に眞向かって言うこと無し。寛の歌もすばらしい。「嶽影湖光」の歌を紹介したい。
①
あめつちの開けはじめのまろ柱ひとつ残りて白き富士かな
②
五千里の長さを持ちて富士のすそ青木が原をわたる白雲
③
しろき雲二つに裂けてわが前に袍の襞ある富士動き出づ
④
みずからを小しとしたる人の身も忘れて富士とともにあるかな
⑤
富士および一切盡きてやすらかに有を融かしたり無の霧の中
⑥
雲飛べば雲と飛ぶべき心あり富士の裾野に遊ぶ日のわれ
⑦
大いなる富士を仰げば何事も恕されてある心地する
⑧
今朝の富士桜を盛れる籠と見ゆ海の嵐よ抜き去る勿れ
①
p112作品 「あめつちの開けはじめ」は古事記の創世記を想像させる表現。日本開闢以来の支柱である丸い柱が現世に一本残って、それが白い富士の山である。物語性を残したロマンあふれる作品である。気宇壮大にして歴史に基づく富士の神聖さをよく表現している。
②
p134作品 五千里の長さを持つ富士の裾野。そこに広大な青木ヶ原があるが今影を落としながら白雲が渡っていく。青々とした樹海に白い雲が影を落として流れていく。雄大な景色にゆるぎない永遠の大地を感じる。(一里は約4キロ。昔は300歩約109メートル。諸説あり。)
③
p135 富士山の所で白い雲が二つに裂けて下って、ちょうど朝服の闕腋袍のような襞となっていて、富士が動いているように見える。見立てが面白い。雄大な景色を詠んで、一面的でない動きのある富士を見て楽しんでいる。
④
p135 自分は小さい人間だと思っていたことも忘れて、雄大な富士を見ると、自分も富士のような堂々とした気分になっていることだ。気宇壮大な歌。すがすがしささえ感じる。
⑤
p138 あの美しい堂々とした富士山やその巡りに在った景色一切が、融かされたように濃霧に包まれて見えなくなってしまった。富士の裾野の濃霧に入ると数メートル先も見えない。ホワイトアウト状態になったことを思い出した。
⑥
p232 富士の裾野から雲が速く流れるように飛んでいく様子を眺めると、雲と一緒に自分も飛んでいきたいと思う。富士山上空の広い空に雄大な雲、その雲となって寛の心は現実から飛躍したい、雄飛したいのだ。実相観入の境地。
⑦
p268 大きな富士に眞向かう時、包容力のある富士に、心の鬱も喜びも悩みもすべて理解され受け入れられ許されているような気がする。信頼の富士。
⑧
p276 今朝、富士山のあたりは桜の花が咲いて満開である。その富士は桜の花を盛った花籠のように見える。海に吹く嵐のような強風で美しい花籠を持ち去らないでほしい。美しい歌である。
寛は心を空にして富士に対面する。富士山の偉大さ、懐に入って相撲を取るようなもので、素直で飾らず力強く、そこが富士の美しさや強さに負けない強さとなっている。強い志があるので、孤独に見えて困難や寂しさに打ち勝つ力を得ている。富士という圧倒的な力に向かい合い、無邪気に寄り添い救われる。
富士は神聖にして、すべての人の救いなのだ。
(短歌追加 富士の偉大さ)
p138 言ふ如く萬づ世かけて動かずば富士は人より寂しからまし
p138 仰ぎ見て云はんすべ無し富士の嶺は大きく我を壓へたるかな
p138 大地より根ざせるもののたしかさを獨り信じて黙したる富士
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