寂聴「月のうさぎ」絵本

寂聴おはなし絵本「月のうさぎ」 講談社

書架の手の届くところに寂聴の絵本が置いてありましたので、「月のうさぎ」を手にとって読んでみました。困った人のために身を捨てるうさぎの話、インドの説話で大変美しいすてきな話だと心がほっとした反面、心の中で何か割り切れない、人に尽くすだけのうさぎはこれでいいのだろうかとも思う。
現代日本の矛盾の縮図、過労死などに繋がる身を犠牲にする精神を植え付ける物語のような気がして、これが幼心を失った、貧しい人間の感動を忘れた心なのかと自身を反省したり、久しぶりに絵本を読んだ難しさか。
絵本の内容は誰でもご存じの話だろう。

きつねとさるとうさぎが本当の兄弟のように仲良く遊んでいたところに、貧しげなおじいさんがやってきておなかをすかしていて倒れた。そこで3匹が食べ物を探しに行き、さるは果物を、きつねは魚を捕ってきましたが、うさぎは何もとってこられなかった。そんな日がしばらく続いたある日、うさぎが今日は薪をたくさん集めて火を焚いて待っていてねといって出かけた。火を焚いて待っていたところにうさぎが帰ってきて、「おじいさん、どうしてもわたしは力がなくて、とうとう食べ物がとれませんでした。だから今夜はこれを食べてくださいね」といって、火の中へ飛び込んでいった。

絵本としては大変感動的で美しいのだが、自らの身の安全を教えなければならない世の中、このおじいさんは本当は神だといっているのに、人を試すだけにやってきて、うさぎに命を捨てさせ、きつねやさるの友達を失い、悲しませる。(その上きつねやさるに食物を集められるという優越感を植え付ける) 
絵本は時に矛盾をはらんでいるのだろう。神は上から目線で対応し、神だけが当然のように良い思いをする。人は自然破壊を繰り返し、動物たちの生息の場を奪い殺しても反省しない。現実とオーバーラップしてしまう。
おじいさん(神)はさるときつねが運んだ食料で満足し、立ち去るべきだったのではないか。そうすればもとの3人仲良く遊ぶことができただろう。旅の疲れがとれるまでとぐずぐずしていたために、うさぎを劣等感に追い込み命を捨てさせた。
うさぎには自分のできること、普段食べている草をおじいさんに差し出せば良かったのになぜそうしなかったのだろう。残念だ。

その後命を捨てたうさぎをたたえて「月」の世界に顕彰するのだが、これでうさぎは報われたことになるのだろうか、疑問だ。(夢を失ってしまった者の、悲しい独り言……。)

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