所沢市出身の三ケ島葭子2

(その2)
大正3年3月に三ケ島葭子は倉片寛一と結婚。12月長女みなみが生まれる。出産間もなく葭子は結核を発病する。長女みなみへの感染を恐れて、1歳のみなみは所沢の舅姑に預けられる。葭子の病気は一応快癒するが、これより生涯にわたって薬餌が必要な身となり、病弱であった。

大正5年 31歳の作品
・病めば子をやしなひがたく人のゐる湯ぶねの中に涙おとしぬ

大正7年 33歳
・久しぶりに父につれられ帰り来し子の声するにわが走せいづる
・日曜の朝けに買ひし子の単衣ただちに裁ちて縫ひてやるかな
                            『三ケ島葭子歌集』より

 
一人娘みなみへのあふれる思い
・病気のために手元で我が子を養育できない寂しさ。どこかの銭湯で家族連れがにぎやかに浸かっているのを見ると、離れ離れの我が子が思い出されて涙にくれるのであった。
・所沢の夫の実家に預けていた子が、父に連れられて帰ってきた。葭子は待ちに待った娘を玄関まで飛ぶようにして走って迎える。弾むような嬉しい気持ちが詠まれている。
・再会しても翌日にはまた所沢に見送らねばならない娘みなみ。日曜の朝反物を買って夏物の単衣の着物を急いで縫って仕立て、持たせる。母親として娘に不自由な思いをさせたくない気持ちが伝わる。






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