新河岸川散策3(福岡河岸ー仙波河岸)
新河岸川散策3(福岡河岸ー仙波河岸) 福岡河岸には船問屋が3軒(福田屋・江戸屋・吉野屋)があり、安永2年(1773)には幕府から公認されました。対岸の古市場河岸とともに、福岡河岸は明治時代に最盛期を迎え、新河岸川舟運は、昭和初期まで約300年間続きました。その福田屋本家は2で紹介した福岡河岸記念館となっています。江戸屋は打ち捨てられたようになっていますが、蔵も家も残っていますので、将来は見学できることを期待したい。 さて、吉野屋さんであるが往時は蔵が12棟も並ぶ賑わいだったというが、現在は文庫蔵1棟が船着き場近くに残っているのみ。 説明とは逆順の写真(写真が多いせいか) 仙波河岸(川越) 新河岸川の最上流部 新河岸川河岸跡 左 新河岸川ー右 不老川 不老川が新河岸川に合流地点 扇河岸跡 船問屋 旧伊勢安 (上・下新河岸河岸近く) 大河内家・長押に帆柱(約10m)や櫂が取り付けられている。 旧河内屋 下新河岸日枝神社・観音堂 下新河岸日枝神社 下新河岸(五大尊写し霊場碑の一部) 越生郷黒岩村生まれの鈴木金兵衛は、崇敬する(現越生町)五大尊境内に四国88か所、四国・西国・坂東・秩父百観音の写し霊場を企て、弘化3年(1846)に、札写し(巡拝碑)の建立に着手しました。碑は、江戸神田で加工され、川越まで新河岸川を回漕、河岸場から五大尊へ陸送されました。しかし、事業は完成に至らず104基が五大尊境内に散在している状態でした。 写真の碑はその一部と思われるものが、川越に残されていることが分かりました。 下新河岸 厳島神社の弁天様 大河内家 (下新河岸の船問屋だった) 船頭さんが船べりからすべって落ちないように敷いた薄縁のようなもの。 舟の帆柱(……庭のサボテンをいただいた…ありがとうございました) 上新河岸河岸 旭橋 寺尾河岸跡 水門と洪水になったときに水を川に戻す施設 養老橋たもとの橋本呉服店 所沢に呉服店がない時代には所沢に呉服を売りに来ていたという、老舗呉服店 養老橋たもと向かいから見た福田屋(福岡河岸記念館) 吉野屋土蔵(文庫蔵)